心頭滅却とは「心から余計な考えがすべて取り払われた状態」という意味です。
この四字熟語は仏教用語であるため、生活の中で見聞きする機会は少ないですよね。
そのため、「聞いたことはあっても、意味は知らない」という方が多いのではないでしょうか。
そこで、この記事では、心頭滅却の意味や使い方、由来、類義語などについて詳しく解説します。
☆「心頭滅却」をざっくり言うと……
読み方 | 心頭滅却(しんとうめっきゃく) |
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意味 | 心から余計な考えがすべて取り払われた状態 |
由来 | 杜荀鶴が書いた漢詩『夏日題悟空上人院』 |
類義語 | 明鏡止水 無念無想 則天去私 など |
対義語 | 疑心暗鬼 意馬心猿 煩悩 など |
英語訳 | clearing one’s mind of all mundane thoughts (ありふれた考えをすべて消し去ること) innocent (無心の) unselfish (無欲の) など |
「心頭滅却」の意味
心から余計な考えがすべて取り払われた状態
心頭滅却は仏教用語で、「心が無になった境地に到達する」ことを表します。
心頭と滅却には、それぞれ以下のような意味があります。
- 心頭
心の中 - 滅却
全てなくす
そのため、心頭滅却は、「心の中のものを全てなくす」ということを表しているのです。
なお、心頭滅却は、“心そのものをなくすこと” を表しているのではありません。
“心にある余計な考えを取り払って、心を整えること” を表しているため、意味を取り違えないようにしましょう。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」の意味
「心頭滅却すれば火もまた涼し」は、心頭滅却という言葉が含まれる故事成語です。
この故事成語は、「心を無にすれば、火の熱さでさえも涼しく感じられるほど、苦しみを感じなくなる」という意味です。
まれに、心頭滅却を「心頭滅却すれば火もまた涼し」の省略形として使う場合もあります。
なお、「心頭滅却すれば火もまた涼し」を「気温の暑さを我慢して克服する」という意味で使う人もいますが、この意味合いは本来は誤りです。
「心頭滅却」の使い方
心頭滅却は、「心頭滅却する」という言い回しで使うことがほとんどです。
具体的な例文を見てみましょう。
- 悟りをひらくためには、心頭滅却することが大切だ。
- 私はあの日、心頭滅却して剣道の試合に挑んだ。
- 心頭滅却すれば、人生が良い方向に進むはずです。
- 誰も愛さず、それこそ心頭滅却に似た恬淡(てんたん)の心境だったのですが…
[出典:太宰治『風の便り』] - 心頭滅却すれば火もまた涼しだから、余計な考えをなくせば心も強くなる。
心頭滅却はもともと仏教用語ですが、日常生活でも「心を無にして集中する」というニュアンスで使われることがあります。
また、心頭滅却は自分自身に対してではなく、他人に注意を促す際にも使います。
「心頭滅却」の由来
心頭滅却の由来は、杜荀鶴(とじゅんかく)が書いた漢詩『夏日題悟空上人院(かじつだいごくうしょうにんいん)』にあります。
杜荀鶴は、中国の唐の時代を生きた詩人です。
杜荀鶴が書いた『夏日題悟空上人院』は、仏教の修行がテーマになっている詩です。
詩の内容は以下の通りです。
【原文】
三伏閉門披一衲
兼無松竹蔭房廊
安禅不必須山水
滅却心頭火自涼
【書き下し文】
三伏(さんぷく) 門を閉ざして 一衲(いちのう)を披(き)る
兼ねて松竹(しょうちく)の房廊(ぼうろう)に蔭(かげ)をする無し
安禅(あんぜん) 必ずしも 山水(さんすい)を須(もち)いず
心頭滅却すれば 火自おのずから涼し
この詩を簡単な現代語訳に直すと、以下のようになります。
この寺には、部屋や廊下を覆うような松・竹がない。
安らかな気持ちで座禅を組むには、山水が必ず要るというわけではない。
心を無の状態にすれば、火も自ずと涼しく感じるものだ。
つまり、『夏日題悟空上人院』では、「心から余計な考えをなくせば、火の暑さを感じられなくなるほどになる」ということを説いています。
この詩に心頭滅却という言葉が登場したため、1つの言葉として定着しました。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」の由来
故事成語「心頭滅却すれば火もまた涼し」の由来も、心頭滅却と同様です。
上記で紹介した漢詩『夏日題悟空上人院』の、以下の部分が元となって、「心頭滅却すれば火もまた涼し」という故事成語になったのです。
心頭滅却すれば 火自おのずから涼し
日本で「心頭滅却すれば火もまた涼し」が定着したのは、戦国時代の禅僧・快川紹喜(かいせんじょうき)にまつわる逸話があるからです。
快川紹喜は武将・武田信玄(たけだしんげん)に招かれ、武田家の相談役を務めていた人物ですが、以下のような経緯で亡くなったのです。
※織田軍:織田信長が率いる軍
※徳川軍:徳川家康が率いる軍
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快川紹喜は、自身が住職を務める恵林寺に武田家の人物をかくまっていた
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織田軍に「かくまっている人物を引き渡せ」と要求されるが、快川紹喜は引き渡しを断った
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この拒否によって織田軍は怒り、恵林寺を焼き討ちにした
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炎から逃げきれなくなった快川紹喜は、「安禅は必ずしも山水をもちいず。心頭滅却すれば、火おのずから涼し」と言って火の中に飛び込み、弟子たちの前で亡くなった
つまり、快川紹喜は『夏日題悟空上人院』の一節を引用して亡くなったのです。
このエピソードは現代でも有名であるため、心頭滅却だけでなく、「心頭滅却すれば火もまた涼し」も有名な言葉となっています。
「心頭滅却」の類義語
心頭滅却には以下のような類義語があります。
- 明鏡止水(めいきょうしすい)
やましい気持ちがなく、澄み渡った気持ちであること - 無念無想(むねんむそう)
余計な考えを全て捨て去り、無心になること
※「無想無念」ともいう - 則天去私(そくてんきょし)
自然に任せて、個人的な考えや私欲を捨てること - 虚心坦懐(きょしんたんかい)
気持ちが素直でさっぱりしている状態 - 大悟徹底(たいごてってい)
すべての迷いを克服し、煩悩を捨てること
上記の言葉はすべて、心から余計な考えをなくすことを表します。
そのため、心頭滅却の類義語といえます。
なお、無念無想は、「自分の意思をもっていない」というネガティブな意味で使われることもあります。
「心頭滅却」の対義語
心頭滅却には以下のような対義語があります。
- 疑心暗鬼(ぎしんあんき)
疑いの心があると、何でもないことまで怪しく見えること - 意馬心猿(いばしんえん)
落ち着かない心を抑えられないこと - 煩悩(ぼんのう)
心をかきみだす欲望
心頭滅却は「心を無にした状態」を表しますが、上記の言葉は「心に余計な気持ちがある状態」を表しています。
そのため、これらの言葉は心頭滅却の対義語といえます。
なお、仏教の世界では、「煩悩」は人間の心身を悩ませ汚すものとして嫌われ、避けられます。
特に「強欲さ」「憎悪」「迷い・惑い」の三つは三毒と呼ばれ、悟りを妨げるものとされています。
「心頭滅却」の英語訳
心頭滅却を英語に訳すと、次のような表現になります。
- clearing one’s mind of all mundane thoughts
(ありふれた考えをすべて消し去ること) - innocent
(無心の) - unselfish
(無欲の) - calm
(落ち着いた)
英語圏は、仏教をバックグラウンドに持つ国は少ないです。
そのため、心頭滅却と完全に一致する英語訳はありません。
なお、心頭滅却に近い考え方として、キリスト教の聖書で “Leave your heart(無心でイエス様に従って)” という言葉が見られます。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」の英語訳
「心頭滅却すれば火もまた涼し」を英語に訳すと、次のような表現になります。
- Clear your mind of all mundane thoughts, and you will find even fire cool.
(ありふれた考えをすべて消し去りなさい。そうすれば、火さえも冷たく感じられるほどになるだろう。) - If you have established your own philosophy, nothing will trouble you as if you would feel fire cool.
(悟りを開けば、火さえも冷たく感じられるほどに、何も悩みがなくなる) - Suppress your self, and even fire is cool.
(自己を抑えなさい。そうすれば、火さえも冷たく感じられるほどになる。)
「心頭滅却」のまとめ
以上、この記事では心頭滅却について解説しました。
読み方 | 心頭滅却(しんとうめっきゃく) |
---|---|
意味 | 心から余計な考えがすべて取り払われた状態 |
由来 | 杜荀鶴が書いた漢詩『夏日題悟空上人院』 |
類義語 | 明鏡止水 無念無想 則天去私 など |
対義語 | 疑心暗鬼 意馬心猿 煩悩 など |
英語訳 | clearing one’s mind of all mundane thoughts (ありふれた考えをすべて消し去ること) innocent (無心の) unselfish (無欲の) など |
心を研ぎ澄ませたいとき、心頭滅却という四字熟語の意味を思い出してみましょう。