四字熟語「明鏡止水(めいきょうしすい)」の意味と使い方:例文付き

言葉

今回ご紹介する言葉は、四字熟語の「明鏡止水(めいきょうしすい)」です。

意味や由来、使い方、類義語、対義語についてわかりやすく解説します。

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「明鏡止水」の意味をスッキリ解説

「明鏡止水」とは、やましい気持ちが一切なく、穏やかで澄み渡った気持ちをもっていることです。

「明鏡止水」の由来


昔、中国には荘子(そうし)という思想家がいました。生没年は不明ですが、中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)に生きていたことは確かであるとされています。

彼は、道教(どうきょう)という宗教の創始者といわれています。仏教や儒教とともに、中国三大宗教と呼ばれています。

荘子は、著書『荘子』のなかで、自身が書いた文章や昔話などを載せて、道教の教えを説きました。このなかに、「徳充符(とくじゅうふ)」という章があります。「徳充符」では、「徳に満ちた心は、他人から見てもわかる」という教えを示す4つのエピソードが収録されています。

この4つのエピソードのうちの2つが、「明鏡」という言葉にまつわる話と、「止水」という言葉にまつわる話です。これら2語の意味が合わさって、のちに「明鏡止水」という四字熟語が生まれたのです。

以下、「明鏡」と「止水」の語源を解説します。

「明鏡」の由来

まず、「明鏡」に関するエピソードを紹介します。

古代中国には、共通の先生のもとで勉強する2人の生徒がいました。

1人は、子産(しさん)という人物です。宰相(さいしょう)の立場であった彼は、いつも自分の高い身分をひけらかしていました。

もう1人は、申徒嘉(しんとか)という人物です。彼は元犯罪者で、足切りの刑を受けたために片足がないのです。

 

子産は、自分よりも身分の低い申徒嘉と同席して勉強することを嫌がりました。

しかし、申徒嘉は「同じ先生に師事する以上は、自分と子産の関係は対等である」と考えていました。そこで、子産に対して「鏡が明らかであるのは、塵や曇りががないからだ。反対に、塵や曇りがついている鏡は明らかでない。」と言いました。

この言葉を易しく言い換えると、「まっさらな鏡は綺麗だが、余計なものが付着している鏡は汚い」という内容になります。申徒嘉は、「鏡についた塵や曇り」を子産の心ににたとえたのです。つまり、「外見や地位で人を見極めるのは、やましいことである」という指摘がこめられています。

このエピソードから、「邪念が一切なく、心が澄み渡っていること」を表す「明鏡(明らかな鏡)」という言葉がうまれたのです。

「止水」の由来

次に、「止水」に関するエピソードを紹介します。古代中国に、王駘(おうたい)という人物がいました。彼は、かつて足切りの刑にあったことがあるため、片足がありません。

通常、受刑を経験した人は、周囲から「身分の低い人」「いやしい人」とみなされてしまいます。しかし、王駘には大勢の弟子がいたのです。

これを知った孔子(※)の弟子は、孔子に「なぜ王駘は多くの人に慕われるのでしょうか。」と問いました。すると、孔子は「人は、流水ではなく止水を鏡とする。だから、不動の心をもつ人物は周囲に安らぎを与えることができるのだ。」と答えました。

孔子の言葉を分かりやすく言い換えると、「流れが止まっている水は、人を引き付けて安らかな気持ちにさせる」ということです。このエピソードが由来となって、「止水」は「静かで穏やかな様子」を指すようになったのです。

 

このように、「明鏡」は、「一切の邪念がなく、澄み渡っている気持ち」を指し、「止水」は「静かで穏やかな状態」を指します。したがって、この2語が組み合わされた「明鏡止水」は、「一切の邪念がなく、穏やかで澄み渡った気持ちをもつこと」という意味なのです。

  • 孔子(※):紀元前551年~紀元前479年に生きた中国の思想家。儒教の創始者。
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「明鏡止水」の使い方


「明鏡止水」は、「心」や「心境(しんきょう)」といった言葉とあわせて使うのが一般的です。このことを踏まえて、「明鏡止水」の例文を2つ解説します。

まず、「今まで懸命に働いてきたので、定年退職後は明鏡止水の心で生活したい。」という文について考えてみましょう。

せわしなく働いているときは、やるべきことが多く、落ち着いた生活を送るのはなかなか難しいですね。このため、この文の主体となる人物は、「退職後は仕事の忙しさから解放され、ストレスのない穏やかな暮らしを楽しみたい」と思っているのです。

つまり、この文は「一切の邪念がなく、穏やかで澄み渡った気持ちをもつこと」を表していますから、「明鏡止水」を用いた例として正しいといえますね。

 

それでは、「この1週間、友人と仲たがいしていた。しかし、和解することができたので、今は明鏡止水の心境だ」という文はどうでしょうか。対立しているあいだ、この人物は友人に怒りや嫌悪を抱いていました。

しかし、仲直りをしたあとは、相手に対するネガティブな感情は消え、穏やかな気持ちになっているのです。

「一切の邪念がなく、穏やかで澄み渡った気持ちをもつこと」を指す「明鏡止水」の定義にあてはまっていますね。したがって、この文も正しい例文といえます。

「明鏡止水」の類義語


明鏡止水の類義語として、下記の6つが挙げられます。

  • 虚心坦懐(きょしんたんかい):わだかまりがなく、さっぱりとしている。
  • 光風霽月(こうふうせいげつ):何かに固執せず、穏やかである。
  • 心頭滅却(しんとうめっきゃく):辛いという気持ちを消し去って、辛いことを乗り越える。
  • 大悟徹堅(だいごてってい):迷いを消し去ること。悟ること。
  • 則天去私(そくてんきょし):運命をすべて自然にゆだねること。夏目漱石の晩年の言葉。
  • 無想無念(むそうむねん):無心を保つこと。「無念無想」ともいう。

6つとも、「明鏡止水」の「一切の邪念がなく、穏やかで澄み渡った気持ちをもつこと」という意味と似ていますね。

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「明鏡止水」の対義語


「明鏡止水」の対義語には、下記の2つがあります。

  • 疑心暗鬼(ぎしんあんき):あらゆる物事を深く疑い、怪しむこと。
  • 意馬心猿(いばしんえん):欲望で心が乱れること。
どちらも、ネガティブな感情があり、落ち着きのない様子を表していますね。つまり、「邪念が一切なく、穏やかで澄み渡った気持ちをもつこと」という意味をもつ「明鏡止水」とは正反対の言葉なのです。

まとめ

以上、この記事では、「明鏡止水」について解説しました。あらためて、意味や由来、類義語・対義語をおさらいしましょう。

意味 邪念がなく、穏やかで澄み渡った気持ちをもつこと
由来 『荘子』の「徳充符」という章の内容から派生。
類義語 虚心坦懐、光風霽月、心頭滅却など
対義語 疑心暗鬼、意馬心猿

空手や剣道では、「明鏡止水」を心掛けて、冷静に戦うことが重んじられています。緊張しているときやストレスが溜まっているときにこそ、「明鏡止水」という言葉を思い出して、落ち着いた気持ちで生活しましょう。

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