故事成語「雲煙過眼(うんえんかがん)」の意味と使い方:例文付き

言葉

今回ご紹介する言葉は、故事成語の「雲煙過眼(うんえんかがん)」です。

言葉の意味、例文、使い方、由来、類義語、対義語についてわかりやすく解説します。

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「雲煙過眼」の意味をスッキリ理解!

雲煙過眼(うんえんかがん):物事に深く執着しないこと

「雲煙過眼」の意味を詳しく

「雲煙過眼」とは、物事に深く心を留めず、執着しないことの例えです。

雲やかすみが目の前を通り過ぎるように、物事にとらわれず淡泊でいることを意味します。わだかまりや悩みが消え、さっぱりとした気持ちになることを指します。

ちなみに、「雲煙」とは雲と煙、または雲とかすみのことです。消えやすいものの例えです。

また、「過眼」とは、目の前を過ぎ去っていくことです。

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「雲煙過眼」の例文

「雲煙過眼」の例文を紹介します。

  1. 五十にして、ようやく雲煙過眼の境地に達した。
  2. 僧侶でさえ、雲煙過眼となるには長い年月の修行が必要だ。
  3. 雲煙過眼の精神で、私はあらゆる悩みから解放されることになった。

「雲煙過眼」は、人の精神状態を指します。精神が安定している良好な状態を指すことがほとんどです。ポジティブな意味として使いましょう。

「雲煙過眼」の使い方

    A「SNS に依存すると、雲煙過眼から遠ざかるわ」

    B「急にどうしたの?」

    A「私はいいねやインスタ映えに囚われて、人からどう見られるかに執着してしまっているの」

    B「そうだね、雲煙過眼の境地に立つために SNS 断ちが必要かもしれないね」

日常生活でも、上記のように「雲煙過眼」を使うことができます。「雲煙過眼の境地」というフレーズも覚えておきましょう。

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「雲煙過眼」の由来

「雲煙過眼」の出典は、蘇軾(そしょく)の『宝絵堂記(ほうかいどうき)』です。

この著書の中に、「私は財産や地位身分、また死生さえも軽んじて、書や画の類を重んじる。しかし、この事は何も私の精神が倒錯して、本心を失ったというものではない。雲やかすみが目の前を過ぎ去るように、物事にこだわらないと決めたのだ。」と記載されています。

物事に心を留めず穏やかであるべき、という教訓でもあります。

蘇軾(そしょく)

蘇軾は、宋代の政治家、詩人です。また、中国の唐宋八大家(とうそうはちだいか)の一人です。これは、中国の唐代から宋代にかけて名を馳せた文人達の総称です。

「雲煙過眼」の類義語

「雲煙過眼」には以下のような類義語があります。

  • 無欲恬淡(むよくてんたん):欲が無く、物事にこだわらないこと
  • 行雲流水(こううんりゅうすい):一事に執着せず、自然に任せて行動すること
  • 虚心坦懐(きょしんたんかい):さっぱりしていて平らな心
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「雲煙過眼」の対義語

「雲煙過眼」には以下のような対義語があります。

  • 意馬心猿(いばしんえん):心の欲望を抑えられないこと

まとめ

以上、この記事では「雲煙過眼」について解説しました。

読み方 雲煙過眼(うんえんかがん)
意味 物事に深く執着しないこと
由来 蘇軾の『宝絵堂記』より
類義語 無欲恬淡、行雲流水、虚心坦懐
対義語 意馬心猿

「雲煙過眼」は、生き方の教訓としても使用される故事成語です。しっかりと覚えて、使いこなせるようになりたいですね。

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