「諦念(ていねん、たいねん)」とは?意味や使い方を解説

言葉

今回ご紹介する言葉は、熟語の「諦念(ていねん、たいねん)」です。

言葉の意味・使い方・類義語・対義語についてわかりやすく解説します。

「諦念」の意味をスッキリ理解!

諦念(ていねん、たいねん):道理をさとる心、あきらめの気持ち

「諦念」の意味を詳しく

「諦念」とは「道理をさとる心」「あきらめの気持ち」のことです。

この二つの意味はニュアンスが異なるため、以下で個別に解説します。

「道理をさとる心」の意味を詳しく解説

「諦念」は仏教との関わりが深い言葉です。

仏教における「道理」とは「三世十方を貫くもの」を表しています。「三世」は時間全てを、「十方」は場所全てを意味しています。つまり、「三世十方を貫くもの」は「いつでもどこでも不変なもの、真理」を指します。

「道理をさとる心」とはすなわち、「世の中の真理に到達した状態」を意味します。

 

「諦念」のニュアンスをつかむために、仏教における「真理」を解説します。

仏教では、「この世の一切は苦である」という考え方をしています。たとえば「四諦(したい)」は以下のように説かれます。

四諦
  • 苦諦(くたい):この世は一切が苦であるという真理・真実
  • 集諦(じったい):苦には煩悩や妄執などの原因があるという真理・真実
  • 滅諦(めったい): 執着を断ち苦を滅することが悟りであるという真理・真実
  • 道諦(どうたい):悟りに導く実践の道という真理・真実
「諦」は「真理」を意味する漢字で、その「真理」は苦しみだと説かれています。仏教の教えを実践し「四諦」に至ることを「諦念」といいます。

「あきらめの気持ち」の意味を詳しく解説

「諦」は「あきら(める)」と読むように、「見込みがない」ことを意味します。

しかし、「あきらめる」は日本で使われ始めた意味です。「道理をさとる心」を「あきらめの気持ち」とわかりやすく解釈して使用しています。

この意味の元には仏教の「道理をさとる心」があるということを覚えておきましょう。

「諦念」の使い方

  1. 必死に努力してきた三年間で諦念に至(いた)り、良いコンディションで甲子園に望めた。
  2. 煙とともに、深い諦念を吐き出した。
  3. 「テスト終わった」と報告してきた彼女の声は、諦念の響きを含んでいた。
  4. 諦念の境地に到達した修行僧は、我々の想像を超える修行を積んでいると言われる。

上記の例文のように、「諦念」は「至る」「到達する」とともに使われることが多いです。

 

①の「諦念」は「道理をさとる心」を意味します。「道理をさとり、安定した心理状態になる」ことを「諦念に至る」と表現しています。

②は「あきらめの気持ち」という意味で「諦念」が使われています。

③の「諦念」は「あきらめの気持ち」を意味します。彼女が、がっかりしながら報告してきたことを表しています。

④は「道理をさとる心」といい意味で「諦念」が使用されています。「諦念の境地に到達する」は「諦念に至る」と同じ意味ですが、より「諦念」のを強調したニュアンスを持つ言葉です。

「諦念」の類義語

「諦念」には以下のような類義語があります。

  • 諦観(ていかん、たいかん):全体を見通して、ことの本質を見きわめること
  • 達観:広く大きな見通しを持つこと
  • 観念:もうこれまでだとあきらめること

「諦念」の対義語

「諦念」には以下のような対義語があります。

  • 執念:執着して離れない心
  • 煩悩(ぼんのう):心身を煩わせ悩ませるような心のはたらき
  • 迷妄(めいもう):ものごとの道理を知らないこと

まとめ

以上、この記事では「諦念」について解説しました。

読み方諦念(ていねん、たいねん)
意味道理をさとる心、あきらめの気持ち
類義語諦観、達観、観念
対義語執念、煩悩、迷妄

「諦念」は仏教由来の言葉で、この意味の本質を理解することは難しいでしょう。興味があれば仏教の教えを勉強してみましょう。