「諦念」の意味と使い方|「諦観」「達観」との違いまで解説

言葉

今回ご紹介する言葉は、熟語の「諦念(ていねん/たいねん)」です。

言葉の意味・使い方・類義語・対義語についてわかりやすく解説します。

「諦念」の意味をスッキリ理解!

諦念(ていねん/たいねん):道理をさとる心、あきらめの気持ち

「諦念」の意味を詳しく

「諦念」には以下のような2つの意味があります。

「諦念」の意味
  1. 諦念(たいねん):【仏教用語】世の中の真理に到達した状態
  2. 諦念(ていねん):あきらめの気持ち

それぞれの意味について詳しく見ていきましょう。

意味①:【仏教用語】世の中の真理に到達した状態

「諦念」を「たいねん」と読む時には、仏教用語で「世の中の真理に到達した状態」という意味です。

この意味を表す時には、「諦念」を構成する漢字は以下のような意味を持ちます。

「諦念(たいねん)」の漢字の意味
  • :【仏教】真理のこと
  • :思い、気持ち

「諦念」は「真理(に到達している時の)気持ち」という意味なのです。

ちなみに、仏教では以下の4つが基本的な真理であるとされています。

仏教の真理
  • 苦諦(くたい):この世は一切が苦であるという真理
  • 集諦(じったい):苦には煩悩や妄執などの原因があるという真理
  • 滅諦(めったい): 執着を断ち苦を滅することが悟りであるという真理
  • 道諦(どうたい):悟りを開くためには「八正道」に基づいた修行をする必要があるという真理

この4つの真理はまとめて「四諦(したい)」と呼ばれます。

「四諦」を知り、修行を行うことで「諦念」を獲得すれば悟りを開くことができるのです。

意味②:あきらめの気持ち

「諦念」を「ていねん」と読む時には「あきらめの気持ち」という意味を表します。

この意味を表す時には、「諦念」を構成する漢字は以下のような意味を持ちます。

「諦念(ていねん)」の漢字の意味
  • :あきらめ
  • :思い、気持ち

「諦念」は文字通り「あきらめの気持ち」という意味なのです。

ただ、「諦」の「あきらめる」という意味は日本で使われ始めたものです。

「道理をさとる心」を「あきらめの気持ち」とわかりやすく解釈して使用しているのです。

「諦念」の使い方

  1. 必死に努力してきた三年間で諦念し、良いコンディションで甲子園に望めた。
  2. 煙とともに、深い諦念を吐き出した。
  3. 「テスト終わった」と報告してきた彼女の声は、諦念の響きを含んでいた。
  4. 諦念の境地に到達した修行僧は、我々の想像を超える修行を積んでいると言われる。

上記の例文のように、「諦念」は「至る」「到達する」とともに使われることが多いです。

 

①の「諦念」は「道理をさとる心」を意味します。「道理をさとり、安定した心理状態になる」ことを「諦念に至る」と表現しています。

②は「あきらめの気持ち」という意味で「諦念」が使われています。

③の「諦念」は「あきらめの気持ち」を意味します。彼女が、がっかりしながら報告してきたことを表しています。

④は「道理をさとる心」といい意味で「諦念」が使用されています。「諦念の境地に到達する」は「諦念に至る」と同じ意味ですが、より「諦念」のを強調したニュアンスを持つ言葉です。

「諦念する」は間違い?

「諦念する」という表現は文法的には間違っています。

「名詞 + する」の形は名詞に「動き・動作」の意味が含まれていないと使うことができません。

「諦念」は2つの意味のどちらも「動き・動作」の意味が含まれていないので、文法上「諦念する」とは言えないのです。

ただ、「諦念する」は一般的に用いられているため、使っても特に問題はありません。

「諦念」の類義語

「諦念」の類義語は意味別に以下のとおりです。

「世の中の真理に到達した状態」の意味の類義語
「あきらめの気持ち」の意味の類義語
  • 観念(かんねん):もうこれまでだとあきらめること
  • 諦(あきら)める:しかたがないと断念する
  • 断念(だんねん):きっぱり諦めること
  • 観念(かんねん):あきらめて状況を受け入れること
  • お手上(てあ)げ:まったくどうしようもなくなること
  • 匙(さじ)を投げる:見込みがないと諦めて手を引く
  • 泣き寝入りをする:不服はあるが、そのまま諦めてしまうこと
  • 手を引く:今までやってきたことや、これからやろうとすることをやめる
  • 見送る:今回は行動を起こさない
  • 撤退(てったい):拠点を引き払って手を引く
  • ギブアップ:諦めること
  • 見限る:見込みがないと考えてやめる
  • 捨て去る:思い切りよく捨てて、気にかけずにいる
  • 見切る:だめだと諦めて見捨てる

「諦念」と「諦観」の違い

「諦観」は「本質を見極めること、あきらめること」という意味です。

「諦念」と同じように、「本質を見極めること」という意味で用いられる場合は仏教用語です。

「諦念」と「諦観」には以下のような違いがあります。

  • 諦念:「真理に到達した時の心情」というニュアンスが強い
  • 諦観:「本質を理解する」というニュアンスが強い

「諦念」が真理に到達した時の気持ちを表す言葉なのに対して、「諦観」は真理に至るまでの過程に注目した言葉なのです。

「諦念」と「達観」の違い

「達観」は「広く大きな見通しを持っていること」という意味です。

「諦念」と「達観」には以下のような違いがあります。

  • 諦念:「真理に到達した時の心情」というニュアンスが強い
  • 達観:「真理に到達する能力を持つ」というニュアンスが強い

「諦念」が「気持ち」に注目した表現なのに対して、「達観」は「能力」に重点を置いた表現なのです。

「諦念」の対義語

「諦念」には意味別に以下のような対義語があります。

「世の中の真理に到達した状態」の意味の対義語
  • 執念(しゅうねん):執着して離れない心
  • 煩悩(ぼんのう):心身を煩わせ悩ませるような心のはたらき
  • 迷妄(めいもう):ものごとの道理を知らないこと
  • 迷い(まよい):心が迷った状態
  • 執心(しゅうしん):あることに強く引かれて心から離れないこと
  • 執着(しゅうちゃく):深く思い込んで忘れきれないこと
「あきらめの気持ち」の意味の対義語
  • 継続(けいぞく):前から行われていたことが引き続き行われること

まとめ

以上、この記事では「諦念」について解説しました。

読み方諦念(ていねん、たいねん)
意味道理をさとる心、あきらめの気持ち
類義語諦観、達観、観念など
対義語執念、煩悩、迷妄など

「諦念」は仏教由来の言葉で、この意味の本質を理解することは難しいでしょう。

興味があれば仏教の教えを勉強してみましょう。