今回ご紹介する言葉は、熟語の「諦念(ていねん/たいねん)」です。
言葉の意味・使い方・類義語・対義語についてわかりやすく解説します。
☆「諦念」をざっくり言うと……
読み方 | 諦念(ていねん、たいねん) |
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意味 | 道理をさとる心、あきらめの気持ち |
類義語 | 諦観、達観、観念など |
対義語 | 執念、煩悩、迷妄など |
「諦念」の意味をスッキリ理解!
「諦念」の意味を詳しく
「諦念」には以下のような2つの意味があります。
- 諦念(たいねん):【仏教用語】世の中の真理に到達した状態
- 諦念(ていねん):あきらめの気持ち
それぞれの意味について詳しく見ていきましょう。
意味①:【仏教用語】世の中の真理に到達した状態
「諦念」を「たいねん」と読む時には、仏教用語で「世の中の真理に到達した状態」という意味です。
この意味を表す時には、「諦念」を構成する漢字は以下のような意味を持ちます。
- 諦:【仏教】真理のこと
- 念:思い、気持ち
「諦念」は「真理(に到達している時の)気持ち」という意味なのです。
ちなみに、仏教では以下の4つが基本的な真理であるとされています。
- 苦諦(くたい):この世は一切が苦であるという真理
- 集諦(じったい):苦には煩悩や妄執などの原因があるという真理
- 滅諦(めったい): 執着を断ち苦を滅することが悟りであるという真理
- 道諦(どうたい):悟りを開くためには「八正道」に基づいた修行をする必要があるという真理
この4つの真理はまとめて「四諦(したい)」と呼ばれます。
「四諦」を知り、修行を行うことで「諦念」を獲得すれば悟りを開くことができるのです。
意味②:あきらめの気持ち
「諦念」を「ていねん」と読む時には「あきらめの気持ち」という意味を表します。
この意味を表す時には、「諦念」を構成する漢字は以下のような意味を持ちます。
- 諦:あきらめ
- 念:思い、気持ち
「諦念」は文字通り「あきらめの気持ち」という意味なのです。
ただ、「諦」の「あきらめる」という意味は日本で使われ始めたものです。
「道理をさとる心」を「あきらめの気持ち」とわかりやすく解釈して使用しているのです。
「諦念」の使い方
- 必死に努力してきた三年間で諦念し、良いコンディションで甲子園に望めた。
- 煙とともに、深い諦念を吐き出した。
- 「テスト終わった」と報告してきた彼女の声は、諦念の響きを含んでいた。
- 諦念の境地に到達した修行僧は、我々の想像を超える修行を積んでいると言われる。
上記の例文のように、「諦念」は「至る」「到達する」とともに使われることが多いです。
①の「諦念」は「道理をさとる心」を意味します。「道理をさとり、安定した心理状態になる」ことを「諦念に至る」と表現しています。
②は「あきらめの気持ち」という意味で「諦念」が使われています。
③の「諦念」は「あきらめの気持ち」を意味します。彼女が、がっかりしながら報告してきたことを表しています。
④は「道理をさとる心」といい意味で「諦念」が使用されています。「諦念の境地に到達する」は「諦念に至る」と同じ意味ですが、より「諦念」のを強調したニュアンスを持つ言葉です。
「諦念する」という表現は文法的には間違っています。
「名詞 + する」の形は名詞に「動き・動作」の意味が含まれていないと使うことができません。
「諦念」は2つの意味のどちらも「動き・動作」の意味が含まれていないので、文法上「諦念する」とは言えないのです。
ただ、「諦念する」は一般的に用いられているため、使っても特に問題はありません。
「諦念」の類義語
「諦念」の類義語は意味別に以下のとおりです。
- 諦観(ていかん/たいかん):全体を見通して、ことの本質を見きわめること
- 達観:広く大きな見通しを持つこと
- 悟(さと)る:真理を会得する
「諦念」と「諦観」の違い
「諦観」は「本質を見極めること、あきらめること」という意味です。
「諦念」と同じように、「本質を見極めること」という意味で用いられる場合は仏教用語です。
「諦念」と「諦観」には以下のような違いがあります。
- 諦念:「真理に到達した時の心情」というニュアンスが強い
- 諦観:「本質を理解する」というニュアンスが強い
「諦念」が真理に到達した時の気持ちを表す言葉なのに対して、「諦観」は真理に至るまでの過程に注目した言葉なのです。
「諦念」と「達観」の違い
「達観」は「広く大きな見通しを持っていること」という意味です。
「諦念」と「達観」には以下のような違いがあります。
- 諦念:「真理に到達した時の心情」というニュアンスが強い
- 達観:「真理に到達する能力を持つ」というニュアンスが強い
「諦念」が「気持ち」に注目した表現なのに対して、「達観」は「能力」に重点を置いた表現なのです。
「諦念」の対義語
「諦念」には意味別に以下のような対義語があります。
- 執念(しゅうねん):執着して離れない心
- 煩悩(ぼんのう):心身を煩わせ悩ませるような心のはたらき
- 迷妄(めいもう):ものごとの道理を知らないこと
- 迷い(まよい):心が迷った状態
- 執心(しゅうしん):あることに強く引かれて心から離れないこと
- 執着(しゅうちゃく):深く思い込んで忘れきれないこと
- 継続(けいぞく):前から行われていたことが引き続き行われること
まとめ
以上、この記事では「諦念」について解説しました。
読み方 | 諦念(ていねん、たいねん) |
---|---|
意味 | 道理をさとる心、あきらめの気持ち |
類義語 | 諦観、達観、観念など |
対義語 | 執念、煩悩、迷妄など |
「諦念」は仏教由来の言葉で、この意味の本質を理解することは難しいでしょう。
興味があれば仏教の教えを勉強してみましょう。