泥の中の蓮の意味とは?仏教が由来のことわざ?使い方や例文も解説

言葉

泥の中の蓮とは「汚れた環境の中でも、周りに染まらず清く正しく生きること」という意味です。

なぜ蓮が泥の中にあるのか気になりますよね。

また、「泥の中の蓮」「泥中の蓮」のどちらを使えば良いか迷う方も多いのではないでしょうか。

この記事では、泥の中の蓮の意味や使い方、由来に加えて、類義語や対義語、英語訳まで詳しく解説します。

☆「泥の中の蓮」をざっくり言うと……

読み方泥の中の蓮(どろのなかのはす)
意味汚れた環境の中でも、周りに染まらず清く正しく生きること
由来『維摩経』の一文
類義語涅すれども緇まず
濁りに染まぬ蓮
蓮は濁りに染まず など
対義語朱に交われば赤くなる
麻の中の蓬
藪の中の荊 など
英語訳A myrtle among thorns is a myrtle still.
A lotus grows in the mud.

「泥の中の蓮」の意味

どろなかはす

汚れた環境の中でも、周りに染まらず清く正しく生きること

例:彼だけが泥の中の蓮だ。

泥の中の蓮とは、「汚れた環境下でも、その汚さに染まらず、清く生きること」を表します。

ここで言う「汚れた環境」とは、不衛生な環境ではなく、欲望や執着、他者への怒りなど人間の悪い感情に塗れた環境のことです。

ちなみに、以下のように表記することもあります。

  • 泥中之蓮(でいちゅうのはす)
  • 泥中の蓮(でいちゅうのはす)

「蓮」の意味

蓮はインド原産の植物です。

↑蓮
[出典:Wikipedia]

インドでは、蓮は極楽浄土に咲くと考えられており、最も神聖な花とされています。そのため、お釈迦様の像が蓮の上に描かれることも多いです。

ちなみに、蓮は花の中心部が蜂の巣に見えることから、「はちす」と呼ばれていたものが変化し、「はす」と呼ばれるようになりました。

そのため、泥の中の蓮を「どろのなかのはちす」と言うこともあります。

「泥の中の蓮」の使い方

泥の中の蓮は、汚れた環境にいても、悪い影響を受けずに真っ直ぐに生きることや、清らかで純真な心をもっている人を表す時に使います。

「花」という語は女性を連想しやすいですが、男性に対して使っても問題ありません。

泥の中の蓮の例文を見てみましょう。

  1. 真面目に勉強しない生徒が多い中、成績優秀の彼だけが泥の中の蓮だ。
  2. 行事の準備をサボる生徒が多いが、彼女はまさに泥の中の蓮のような存在だ。
  3. 泥の中の蓮であり続けるためには、流されないための強い意志が必要だ。
  4. 泥の中の蓮のように、いつか美しい花を咲かせてみせる。

「泥の中の蓮」の由来

泥の中の蓮の由来は、仏教の教えが書かれている『維摩経(ゆいまきょう)』だとされています

『維摩経』に以下のような場面があります。

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は、知恵を象徴する菩薩です。維摩居士(ゆいまこじ)は、古代インドの商人で、釈迦の在家の弟子です。

ある時、維摩居士が病気になり、文殊菩薩が見舞いに尋ねます。そこで、維摩居士は文殊菩薩に質問します。

維摩居士
悟りの境地に達した如来になるには、どうすれば良いですか?
文殊菩薩
ありとあらゆる煩悩が、如来になるための出発点となります。
維摩居士
どういう意味ですか?
文殊菩薩
譬如高原陸地不生蓮花、卑湿淤泥乃生此華
(例えば、美しい蓮は高原の陸地には咲かない。泥水の中だからこそ蓮は咲くのです。)

つまり、「泥の中の蓮」はもともと、「煩悩に塗れた世の中で、蓮のように美しくあるようにひたすら修行しなければならない」という意味でした。

実際に、蓮が美しく咲くためには、汚れた泥水が必要です。綺麗な真水だけでは、大きくは咲きません。

これが転じて、「泥の中の蓮」は「汚れた環境の中でも、周りに染まらず清く正しく生きること」という意味で使われるようになったのです。

「泥の中の蓮」の類義語

泥の中の蓮には以下のような類義語があります。

  • 涅すれども緇まず(でっすれどもくろまず)
    汚れた世の中や環境にいても悪影響を受けず、正しい行いをすること
  • 濁りに染まぬ蓮(にごりにそまぬはちす)
    汚れた環境でも悪影響を受けず、清らかでいること
  • 蓮は濁りに染まず(はすはにごりにそまず)
    汚れた環境でも悪影響を受けず、清らかでいること
  • 蓮華の水に在るが如し(れんげのみずにあるがごとし)
    汚れた環境でも悪影響を受けず、清らかでいること
  • 掃き溜めに鶴(はきだめにつる)
    つまらないものの中に、飛び抜けてすぐれた者や美しい者が混じっていること
  • 鶏群の一鶴(けいぐんのいっかく)
    多くの凡人の中に、一人すぐれた者が混じっていること

濁りに染まぬ蓮でも、蓮は「はす」とも「はちす」とも読みます。

「泥の中の蓮」の対義語

泥の中の蓮には以下のような対義語があります。

  • 朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)
    人は関わる人によって、良くも悪くもなるということ
  • 麻の中の蓬(あさのなかのよもぎ)
    人は関わる相手が善良であれば、自然と善人になるということ
  • 藪の中の荊(やぶのなかのいばら)
    人は関わる環境や相手が悪いと、悪い人間になってしまうということ

「朱に交われば赤くなる」の意味

「朱に交われば赤くなる」は、「朱色が混じれば赤味を帯びるように、人は関わる人たちの良し悪しによって、善悪どちらにも感化される」という意味です。

由来は、以下の中国のことわざだとされています。

近墨必緇、近朱必赤
(墨に近づけば必ず黒くなり、朱に近づけば必ず赤くなる)
「赤になる」「朱色になる」は誤り

「朱に交われば赤くなる」の「赤くなる」を、「赤になる」「朱色になる」とするのは誤用です。

「麻の中の蓬」の意味

麻の中の蓬は、「麻の中で真っ直ぐに育つ蓬のように、人は関わる人たちが善良であれば、影響されて自分も良くなる」という意味です。

麻はまっすぐ育ち、蓬は曲がりやすいため、このような意味になりました。

「藪の中の荊」の意味

藪の中の荊は、「藪の中に生えた荊のように、人は関わる人や環境が悪いと、影響されて自分も悪くなる」という意味です。

藪の中で生えた荊は、他の樹木に邪魔されて真っ直ぐ育たないため、このような意味になりました。

「泥の中の蓮」の英語訳

泥の中の蓮を英語に訳すと、次のような表現になります。

  • A myrtle among thorns is a myrtle still.
    (茨の中でもギンバイカはギンバイカ)
  • A lotus grows in the mud.
    (蓮は泥の中に育つ)

“myrtle” とは、春に花を咲かせる低木です。日本語で銀梅花(ギンバイカ)と呼ばれます。

↑ギンバイカ
[出典:Wikipedia]

ギンバイカはギリシャ神話で豊穣の女神・デーメーテールと、愛と美と性の女神・アプロディーテーに捧げられ、「愛や不死の象徴」とされています。

例え茨の中でも、ギンバイカは美しくあり続けることから、泥の中の蓮の英語訳として使われます。

「泥の中の蓮」のまとめ

以上、この記事では泥の中の蓮について解説しました。

読み方泥の中の蓮(どろのなかのはす)
意味汚れた環境の中でも、周りに染まらず清く正しく生きること
由来『維摩経』の一文
類義語涅すれども緇まず
濁りに染まぬ蓮
蓮は濁りに染まず など
対義語朱に交われば赤くなる
麻の中の蓬
藪の中の荊 など
英語訳A myrtle among thorns is a myrtle still.
A lotus grows in the mud.

泥の中の蓮は、人を蓮に例えた美しいことわざです。

周りに影響されず、自分の信念を貫いている人に使ってみましょう。

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まや
自称、誤字キラー。 Web記事でも誤字脱字を見逃しません。言葉が大好きです。 大学では言葉遊びについて研究していました。マイブームは日本語ラップを聴くこと。