「会うは別れの始め」とは「出会った人とはいつか必ず別れなければならない」という意味です。
本などで見かけたことがある人も多いかもしれませんが、なぜこの言葉が生まれたのかまでは知らないのではないでしょうか。
実は、仏教の教えが込められた言葉なのです。
この記事では、「会うは別れの始め」の意味や使い方を詳しく説明します。
☆「会うは別れの始め」をざっくり言うと……
読み方 | 会(あ)うは別(わか)れの始(はじ)め |
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意味 | 出会った人とはいつか必ず別れなければならない |
由来 | 説①『法華経』 説②『遺教経』 説③白居易『白氏文集』「和夢遊春詩一百韻」 |
使用した作品 | バンド・ammoのアルバムタイトル 井上ひろしの楽曲『別れの磯千鳥』 TVアニメ『デュラララ!!×2 結』 |
類義語 | 会うが別れの始め 会うは別れ 会うは別れの基 など |
英語訳 | We never meet without a parting. (別れずに出会うことはない) The best of friends must part. (出会いは別れの始まり) |
このページの目次
「会うは別れの始め」の意味
出会った人とはいつか必ず別れなければならない
「会うは別れの始め」は、「この世で出会った人とは、いつか必ず別れなければならない」という意味です。
ただ「別れなければならない」という意味だけではなく、「いつか別れがくるのだから、今この時を大切にするべきだ」という意味も込められています。
この意味は、仏教の教えである無常を例えた表現です。
無常とは、仏教で「この世の全てのものは変化するので、一定ではないこと」を表します。
「会うは別れの始め」の成り立ち
「会うは別れの始め」は以下のように成り立っています。
- 会う
顔を合わせる - 別れ
一緒にいたものが離れる - 始め
物事の起こり
つまり、「会うは別れの始め」は、「顔を合わせることは、離れることの起こりである」ことを表します。
「会うは別れの始め」の表記
「会うは別れの始め」は、「逢うは別れの始め」と表記することもあります。
「会うは別れの “初” め」と表記するのは誤りです。
「初め」は時間が早いことを、「始め」は物事が開始することを表します。
「会うは別れの始め」は「会うことが別れの開始になる」という意味ですので、「初め」ではなく「始め」を使用します。
「会うは別れの始め」の使い方
「会うは別れの始め」はことわざであるため、ひとつの言い回しとして使います。
例文を見てみましょう。
- 会うは別れの始めであるから、ひとつひとつの出会いを大事にしなければならない。
- いつかさよならをする時はくるけれど、会うは別れの始めと言うから、一緒に過ごせる時間を大切にしよう。
以下のように、会話の中で使うこともできます。
「会うは別れの始め」の由来
「会うは別れの始め」の由来は諸説ありますが、定かではありません。
由来には以下の3つの説があります。
- 『法華経(ほけきょう)』
- 『遺教経(ゆいきょう)』
- 白居易『白氏文集(はくしもんじゅう)』「和夢遊春詩一百韻(ゆめにはるにあそぶしにわす いちひゃくいん)」
それぞれ見ていきましょう。
由来の説①『法華経』
「会うは別れの始め」の由来のひとつ目は、仏教の教えが書かれた書物である『法華経』です。
『法華経』の中に以下のような文章があります。
愛別離苦(あいべつりく)、是故会者定離(これゆええしゃじょうり)
(出会った者同士には、必ず別れが訪れるため、憂い(うれい)を抱いてはいけない)
上記の一部である会者定離は、「この世で出会った人には、必ず別れがくること」という意味です。
ここから、「会うは別れの始め」という言葉が生まれたとされています。
由来の説②『遺教経』
「会うは別れの始め」の由来の2つ目は、仏教の教えが書かれた書物である『遺教経』です。
『遺教経』の中に以下のような文章があります。
世皆無常、会必有離
(この世のものはすべて変わりゆき、会った者には必ず別れが訪れる)
上記の一部である会必有離は、「この世で出会った人には、必ず別れがくること」という意味です。
ここから、「会うは別れの始め」という言葉が生まれたとされています。
由来の説③『白氏文集』「和夢遊春詩一百韻」
「会うは別れの始め」の由来の3つ目は、唐代の詩人・白居易が書いた詩集『白氏文集(はくしもんじゅう)』です。
『白氏文集』の中に「和夢遊春詩一百韻」という詩があります。
合者離之始 樂兮憂所伏
(合うはわかれの始めにして、楽しみは憂いの伏する所なり。)
上記の一部である合者離之始は、「会うことは別れの始まりである」という意味です。
ここから、「会うは別れの始め」という言葉が生まれたとされています。
「会うは別れの始め」を使用した作品
「会うは別れの始め」は、歌詞やアニメのタイトルにも使用されることがあります。
「会うは別れの始め」を使用した作品には以下のようなものがあります。
- バンド・ammoのアルバムタイトル
- 井上ひろしの楽曲『別れの磯千鳥』
- TVアニメ『デュラララ!!×2 結』
それぞれ見ていきましょう。
ammoのアルバムタイトル
「会うは別れの始め」は、ammoというバンドのアルバムタイトルに使用されています。
ammoは、3人組のロックバンドです。
2020年に「会うは別れの始め」というタイトルのファーストアルバムを発売しました。
井上ひろしの楽曲『別れの磯千鳥』
「会うは別れの始め」は、井上ひろしの楽曲『別れの磯千鳥(いそちどり)』にも使用されています。
『別れの磯千鳥』は以下のような歌詞です。
知らぬ私じゃ ないけれど
「逢う」という表記で使用されています。
TVアニメ『デュラララ!!×2 結』
「会うは別れの始め」は、TVアニメ『デュラララ!!×2 結』のタイトルにも使用されています。
TVアニメ『デュラララ!!×2 結』は、ライトノベル『デュラララ!!』を原作とするアニメシリーズの完結編です。
第36話のタイトルが「会うは別れの始め」です。
ちなみに、TVアニメ『デュラララ!!』シリーズではタイトルに四字熟語やことわざを多用しています。
「会うは別れの始め」の類義語
「会うは別れの始め」には以下のような類義語があります。
- 会うが別れの始め
- 会うは別れ
- 会うは別れの基(もと)
- 別れなくして出会いなし
- 合わせ物は離れ物
合わせてひとつにした物は、いつかまた離れる時がくること - 会者定離(えしゃじょうり)
この世で出会った人には、必ず別れがくること
「会うは別れの始め」の英語訳
「会うは別れの始め」を英語に訳すと、次のような表現になります。
- We never meet without a parting.
(別れずに出会うことはない) - The best of friends must part.
(出会いは別れの始まり)
“The best of friends must part.” は、直訳すると「どんなに親しい友達でも、別れなければならない」という意味です。
「会うは別れの始め」のまとめ
以上、この記事では「会うは別れの始め」について解説しました。
読み方 | 会(あ)うは別(わか)れの始(はじ)め |
---|---|
意味 | 出会った人とはいつか必ず別れなければならない |
由来 | 説①『法華経』 説②『遺教経』 説③白居易『白氏文集』「和夢遊春詩一百韻」 |
使用した作品 | バンド・ammoのアルバムタイトル 井上ひろしの楽曲『別れの磯千鳥』 TVアニメ『デュラララ!!×2 結』 |
類義語 | 会うが別れの始め 会うは別れ 会うは別れの基 など |
英語訳 | We never meet without a parting. (別れずに出会うことはない) The best of friends must part. (出会いは別れの始まり) |
「会うは別れの始め」は、世の中の全てのことは変わっていくことを教えてくれることわざです。
いつか訪れる別れを恐れるのではなく、今を大事にしていきたいですね。