テニプリ用語「無我の境地」の意味とは?仏教用語が由来?使い方まで解説

言葉

「無我の境地」とは、漫画『テニスの王子様』で、限界を超えた人が到達する特別な状態です。

『テニスの王子様』をよく知らない人によっては、「無我の境地」がどのような状態なのかわかりづらいですよね。

この記事では、「無我の境地」の意味や由来、例文などについて、詳しく解説します。

『テニスの王子様』のネタバレに注意

この記事では、「無我の境地」を解説するにあたり、『テニスの王子様』のストーリーについても触れています。

ネタバレを含んでいるため、ご注意ください。

「無我の境地」をざっくり言うと…
  • 無我の境地の意味は「『テニスの王子様』で、限界を超えた人が到達する特別な状態
  • 無我の境地の先にある3つの扉は「百練自得の極み」「才気煥発の極み」「天衣無縫の極み
  • 無我の境地の由来は「仏教用語

「無我の境地」の意味

無我むが境地きょうち

漫画『テニスの王子様』で、限界を超えた人が到達する特別な状態

「無我の境地」は、漫画『テニスの王子様』に登場する用語です。

試合中に限界を超える現象を「無我の境地」と呼ぶのです。

「無我の境地」に達した状態は、「スーパーサイヤ人化」と呼ばれます。

「無我の境地」に達したプレーヤーは、以下のような状態になります。

「無我の境地」の状態
  • 目で見えるほどのオーラが立ち上る
  • 試合で、常人にはできないプレーができる
  • 無意識に、過去に対戦した選手の技を再現できる

「無我の境地」は、限界を超えたプレーヤーだけが到達できる状態となっています。

なお、「無我の境地」になると無意識にたくさんのパワーを使うため、体力が消耗されるというデメリットがあります。

『テニスの王子様』とは

『テニスの王子様』は許斐剛(このみ たけし)作の漫画で、続編『新テニスの王子様』もあります。

アニメやゲーム、ミュージカルにもなっています。

『テニスの王子様』シリーズでは、主人公・越前(えちぜん)リョーマをはじめとする男子たちが、「テニヌ」という競技でバトルを繰り広げます。

テニヌとテニスの違い

テニヌはテニスと似ていますが、相手を吹き飛ばしたり攻撃したりなど、超能力が含まれる点が特徴的です。

無我の境地も、テニヌならではの超人的な状態といえます。

『無我の境地』になったことがある登場人物

『テニスの王子様』シリーズで、『無我の境地』になったことがある登場人物は下記の6名です。

  • 越前リョーマ
  • 手塚国光(てづか くにみつ)
  • 切原赤也(きりはら あかや)
  • 真田弦一郎(さなだ げんいちろう)
  • 千歳千里(ちとせ せんり)
  • 幸村精市(ゆきむら せいいち)

「無我の境地」の先にある3つの扉


『テニスの王子様』では、「無我の境地」の先に、以下のような3つの現象があります。

  1. 百練自得(ひゃくれんじとく)の極み(きわみ)
  2. 才気煥発(さいきかんぱつ)の極み
  3. 天衣無縫(てんいむほう)の極み

上記3つの現象は、「3つの扉」と呼ばれています。

以下、それぞれの現象について解説します。

3つの扉①百練自得の極み

「百練自得の極み」は、「無我の境地」の奥にある “1つ目の扉” です。

「百練自得の極み」の状態になったプレーヤーは、相手からの球を倍返しで撃ち返すことができます

しかし、「百練自得の極み」になって利き腕に力を宿らせると、威力が強すぎて持て余してしまうため、加減の調節が難しいとされています。

『テニスの王子様』シリーズで「百練自得の極み」に達したプレーヤーには、以下のような人物がいます。

「百練自得の極み」に達した人物
  • 手塚国光
    最初に「百練自得の極み」を得た人物
  • 樺地崇弘(かばじ むねひろ)
    手塚から技をコピーした
  • 越前リョーマ
    主人公

ちなみに、百練自得という言葉はもともと剣道用語で、「経験や努力を重ねることが大切」という意味です。

3つの扉②才気煥発の極み

「才気煥発の極み」は、「無我の境地」の奥にある “2つ目の扉” です。

「才気煥発の極み」の状態になったプレーヤーは、一球ごとの戦略を瞬時に考え、試合の展開を読み取ることができます

しかし、この境地は頭脳の回転に特化しているため、身体的な能力は上がりません。

『テニスの王子様』シリーズで「才気煥発の極み」に達したプレーヤーには、以下のような人物がいます。

「才気煥発の極み」に達した人物
  • 千歳千里(ちとせ せんり)
    最初に「才気煥発の極み」を得た人物
  • 越前(えちぜん)リョーマ
    主人公
  • 手塚国光(てづか くにみつ)
    実力の高い選手

ちなみに、才気煥発という言葉はもともと四字熟語で、「優れた才能が溢れている」という意味です。

四字熟語「才気煥発(さいきかんぱつ)」の意味と使い方:例文付き

3つの扉③天衣無縫の極み

「天衣無縫の極み」は、「無我の境地」の奥にある “3つ目の扉” です。

「天衣無縫の極み」の状態になったプレーヤーは、感覚が研ぎすまされ、落ち着きながらもテニスを心から楽しむことができます

3つの扉のなかでも、最もプレーに没頭している状態といえます。

『テニスの王子様』シリーズで「天衣無縫の極み」に達したプレーヤーには、以下のような人物がいます。

「天衣無縫の極み」に達した人物
  • 越前リョーマ
    主人公
  • 越前南次郎(えちぜん なんじろう)
    リョーマの父
  • 手塚国光(てづか くにみつ)
    実力の高い選手
  • 遠山金太郎(とおやま きんたろう)
    驚異的な体力をもつ選手
  • 鬼十次郎
    実力の高い選手

ちなみに、天衣無縫という言葉はもともと四字熟語で、「わざとらしくなく、自然に優れた状態である」という意味です。

「天衣無縫」の意味とは?どんな性格?英語や類語まで解説

「無我の境地」の由来


もともと「無我の境地」は、仏教で使われる用語です。

「無我」と「境地」には、それぞれ以下のような意味があります。

  • 無我
    いつまでも変わらない実体など存在しない
  • 境地
    身体や心が置かれている状態

仏教における「無我の境地」には、具体的に以下のような意味があります。

仏教における「無我の境地」の意味
  1. 心から雑念が取り除かれ、執着がまったくない状態
  2. ①から転じて、1つのことに没頭すること

ここからは4つの観点から、仏教用語の「無我の境地」について解説します。

  1. 「無我の境地」になるには
  2. 「無我の境地」と「無我」の違い
  3. 「無我の境地」と「無心」の違い
  4. 「無我の境地」と「無の境地」の違い
  5. 「無我の境地」と「無我夢中」の違い

1つずつ見ていきましょう。

①「無我の境地」になるには

「無我の境地」は、仏教を信じる者が達することができる最終形態です。

「無我の境地」になることは、悟りを開いた状態といえます。

仏教徒は、「無我の境地」になるために以下のようなことを行います。

「無我の境地」になるための手順
意識を集中させる

迷いや雑念を頭の中からなくそうとする

煩悩(ぼんのう)をなくす

しかし、通常の人間は以下のような理由で、「無我の境地」に到達することは難しいのです。

「無我の境地」が難しい理由
  • 周囲の音や景色に意識が向いてしまい、完全に集中できないため
  • 誘惑や悩みに負けてしまい、心を無にできないため

つまり、「無我の境地」は、限界を達した人にしか味わえない状態といえます。

そのため、仏教徒は「無我の境地」を目指して修行を行うのです。

②「無我の境地」と「無我」の違い

「無我の境地」と「無我」はどちらも仏教用語ですが、意味が異なります。

「無我の境地」と「無我」の違い
  • 無我の境地
    心から雑念が取り除かれ、執着がまったくない状態
  • 無我
    いつまでも変わらない実体など存在しないという考え方

③「無我の境地」と「無心」の違い

「無我の境地」と「無の境地」には、以下のような違いがあります。

意味①意味②
無我の境地心から雑念が取り除かれ、執着がまったくない状態1つのことに没頭すること
無心

「無我の境地」には「心から雑念が取り除かれ、執着がまったくない状態」という意味だけでなく、「1つのことに没頭すること」という意味もあります。

しかし、「無心」には「1つのことに没頭すること」という意味はありません。

③「無我の境地」と「無心」の違い

「無我の境地」と「無心」には、以下のような違いがあります。

「無我の境地」と「無心」の違い
  • 無我の境地
    心から雑念がないこと
  • 無心
    欲がないこと

「無我の境地」は、心からすべての感情・雑念が消え去った究極の状態です。

一方で、「無心」は単に、欲望やわがままがないことを指すのです。

⑥「無我の境地」と「無我夢中」の違い

「無我の境地」と「無我夢中」は似ている言葉ですが、厳密には意味が異なります。

「無我の境地」と「無我夢中」の違い
  • 無我の境地
    我をなくして、意識を集中させること
  • 無我夢中
    1つのことに心を奪われて、我を忘れて没頭すること

つまり、「無我の境地」が我をなくすことであるのに対して、「無我夢中」は我を忘れることなのです。

四字熟語「無我夢中(むがむちゅう)」の意味と使い方:例文付き

「無我の境地」の使い方


「無我の境地」の文中での使い方を、以下の2つのパターンに分けて紹介します。

  1. 『テニスの王子様』での使い方
  2. 仏教用語での使い方

①『テニスの王子様』での使い方

『テニスの王子様』における「無我の境地」は、「無我の境地を使う」という言い回しで使います。

「無我の境地」は状態を表す言葉であるため、「〜を使う」を続けるのは不自然ともいえます。

しかし、『テニスの王子様』では、「無我の境地」が一種の技となっているため、「〜を使う」と合わせて用いるのです。

例文を見てみましょう。

『テニスの王子様』での使い方
  1. 切原赤也が初めて無我の境地を使ったシーンは、印象的だった。
  2. 小さい頃は『テニスの王子様』に憧れていたので、自分も無我の境地を使えるようになりたかったものだ。

②仏教用語での使い方

仏教用語における「無我の境地」は、以下のような言い回しで使います。

  • 無我の境地に達する
  • 無我の境地に至る

例文を見てみましょう。

例文
  1. 彼は無我の境地に達するべく、修行に励んだ。
  2. 無我の境地に至るのは、簡単なことではない。

「無我の境地」のまとめ

以上、この記事では「無我の境地」について解説しました。

読み方無我(むが)の境地(きょうち)
意味漫画『テニスの王子様』で、限界を超えた人が到達する特別な状態
由来仏教用語「無我の境地」

仏教用語としての意味も理解したうえで、『テニスの王子様』の「無我の境地」を正しく使いこなしましょう。