今回ご紹介する言葉は、故事成語の「一寸の光陰軽んずべからず(いっすんのこういんかろんずべからず)」です。
この言葉はとても勉強になる言葉です。
ぜひ意味を知っておきたいところです。
そこで、「一寸の光陰軽んずべからず」の意味、由来、例文、類義語、英訳についてわかりやすく解説します。
☆「一寸の光陰軽んずべからず」をざっくり言うと……
読み方 | 一寸の光陰軽んずべからず(いっすんのこういんかろんずべからず) |
---|---|
意味 | 人生は短いのだから、わずかな時間でも無駄にしてはならない、という戒め |
由来 | 「偶成」という詩から |
類義語 | 時は金なり、光陰矢の如し |
英語訳 | Nothing is more precious than time |
このページの目次
「一寸の光陰軽んずべからず」の意味をスッキリ理解!
「一寸の光陰軽んずべからず」の意味を詳しく
「一寸の光陰軽んずべからず」とは、人生は短いのだから、わずかな時間でも無駄にしてはならない、という戒めです。
ちなみに、「光陰」とは、太陽と月のことを表していて、「時間」という意味になります。
そして、単に「急ぐ」という意味で使うのは間違いなので注意が必要です。
「一寸の光陰軽んずべからず」の由来
「一寸の光陰軽んずべからず」の出典は『偶成(ぐうせい)』という詩です。
この詩の中に、「少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず」という文章が出てくるのですが、これが由来になっているのです。
ちなみに、この文のうち、「少年老い易く学成り難し」は「若い時期は短いので、学問を完成させるのは難しい」という意味を表しています。
そして、「偶成」という詩は朱子の作品であると言われてきました。
しかし、「偶成」が朱子の作品かどうかは、現在疑われています。
そもそも「偶成」が朱子の作品とされたのは、明治時代の教科書に「偶成」が朱子の作品として紹介されたからです。
ですが、近年の研究では、「偶成」が朱子の作品の中に見当たらないことなどから、別の人が作った作品なのではないか、と言われています。
朱子は中国の南宋の時代の儒学者です。
そして、中国の思想史でもっとも重要な人物だと言われています。
彼の学問は「朱子学」と呼ばれ、中国国内だけでなく、日本や朝鮮半島などにも大きな影響を与えました。
「一寸の光陰軽んずべからず」の例文
- 一寸の光陰軽んずべからずだ。スマホでゲームをしている時間などない。
- 一寸の光陰軽んずべからず、という言葉をいつも心にとめて生活している。
- スマホで暇つぶしをしていたら、親から「一寸の光陰軽んずべからずだよ」と注意された。
「一寸の光陰軽んずべからず」の類義語
「一寸の光陰軽んずべからず」には以下のような類義語があります。
- 時は金なり
- 光陰矢の如し
「一寸の光陰軽んずべからず」の英語訳
「一寸の光陰軽んずべからず」を英語に訳すと、次のような表現になります。
- Nothing is more precious than time.
(時間ほど貴重なものはない) - If you lose your time you cannot get money.
(時間を無駄にすれば、金は得られない) - Art is long, life is short.
(芸術は長く人生は短い)
まとめ
以上、この記事では「一寸の光陰軽んずべからず」について解説しました。
読み方 | 一寸の光陰軽んずべからず(いっすんのこういんかろんずべからず) |
---|---|
意味 | 人生は短いのだから、わずかな時間でも無駄にしてはならない、という戒め |
由来 | 「偶成」という詩から |
類義語 | 時は金なり、光陰矢の如し |
英語訳 | Nothing is more precious than time |
「一寸の光陰軽んずべからず」は座右の銘としても適している言葉ですよね。
この言葉を忘れないように生きていきたいものです。