今回ご紹介する言葉は、故事成語の「合従連衡(がっしょうれんこう)」です。
意味、使い方、由来、類義語についてわかりやすく解説します。
☆「合従連衡」をざっくり言うと……
読み方 | 合従連衡(がっしょうれんこう) |
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意味 | 状況に応じて結んだり離れたりする様子 |
由来 | 戦国時代の中国の外交政策から |
類義語 | 「雲集霧散」「集合離散」「離合集散」など |
「合従連衡」の意味をスッキリ理解!
「合従連衡」の意味を詳しく
「合従連衡」の文字通りの意味は、「タテのつながりと、ヨコのつながり」となります。つまり、縦横に手を結んだり離れたりする様子を指しています。その時々の利害に応じて、手を結ぶ相手を変えながら生き残りを図っている様子を表しています。
さらに、「結んだり離れたりする駆け引き」という意味も生まれました。お互いに自分の利害のために行動しているので、交渉は難しいものになるでしょう。
合従連衡は、もともと外交の様子から生まれた言葉です。そのため、国と国の結びつきの場面で使われることが多いです。しかし、合従連衡は、個人と個人、企業と企業など、幅広い場面で使うことのできる言葉です。
「合従連衡」の使い方
- 小さい政党が乱立し、選挙のたびに連立を組み替える合従連衡の政治が行われている。
- 色々な店で使えるポイントカードが増えた。業種をまたいだ合従連衡の取引のおかげだ。
- うちの会社も合従連衡で合併しないといけないが、会社の理念を失うのは心苦しい。
「合従連衡」の由来
「合従連衡」は、古代中国の出来事に由来します。戦国時代(紀元前3世紀ごろ)の中国は、いくつもの国に分かれて互いに争っていました。7つの国に分かれていたころに、外交政策で国々を渡り歩いて活躍する人が現れます。
蘇秦(そしん)は、7つの国のうちもっとも強大な秦(シン)を除く6ヶ国で同盟を結ぶことを提案します。1つの国を手始めに、次々に国を説得してまわり、あっという間に6ヶ国は結ばれました。そして、秦の攻撃を15年間受けることがなく、戦国時代の安定期が訪れたのです。
蘇秦は6ヶ国でもてはやされ、トップを兼任するほどの絶大な権力を得ます。彼の職業は「縦横家」です。縦横家は、儒家(儒教の思想を研究する人)や道家(道教の思想を研究する人)と並ぶ、戦国時代に生まれた学問を行う学者のひとつです。
縦横家とは、外交を考える人のことです。現代風に言えば、「外交コンサルタント」となるでしょう。蘇秦は、自分のアイデアを6ヶ国で披露し、説得に成功しました。
蘇秦のアイデアは、いたってシンプルです。「弱い国同士で集まれば、強い国に太刀打ちできる」という発想にもとづいています。
そして、西にある秦に対して、同盟を結んだ6ヶ国は東にありました。中国の東側に、南北に連なるように並んだ6ヶ国の様子から、「合従」(タテのつながり)という言葉が生まれたのです。
タテのつながりを提案した蘇秦に対して、別の考えをもった縦横家が現れました。張儀(ちょうぎ)です。彼は秦の役人として、秦の外交政策を考えていました。合従を切り崩して、秦の味方を増やしていく必要があったのです。
張儀は、1ヶ国ずつ交渉し、秦と個別に同盟を結びます。こうして、「連衡」という東西のヨコのつながりができました。秦と対立していた国は、秦と同盟を結ぶことに対して、「弱い国は、強い国と仲良くすることで生き残れる」と考えたでしょう。
合従と連衡の考えは、反対のものであることがわかっていただけたと思います。合従は崩れ、秦と個別に同盟を結んだ国々は、次々と秦に滅ぼされます。こうして中国は統一に向かい、初の統一された王朝ができました。始皇帝の治める秦が勝ったのです。
以上の話は、中国の古典的な歴史書の内容をまとめたものです。しかし、実際には蘇秦と張儀は生きていた期間が違い、外交政策も違うものであったと言われています。しかし、二人がそれぞれタテとヨコの同盟を提案したことには変わりありません。
「合従連衡」の類義語
「合従連衡」には、以下のような類義語があります。
- 雲集霧散:集まったかと思ったらパッと消えてしまう様子
- 集合離散、離合集散:集まったり分かれたりする様子
まとめ
以上、この記事では「合従連衡」について解説しました。
読み方 | 合従連衡(がっしょうれんこう) |
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意味 | 状況に応じて結んだり離れたりする様子 |
由来 | 戦国時代の中国の外交政策から |
類義語 | 「雲集霧散」「集合離散」「離合集散」など |
状況を見きわめて行動することが、難しい時代を生き抜くカギとなりそうですね。