錦の御旗とは「赤地の錦に、金色の日や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗」「自分の行動や主張を正当化するための名分」という意味です。
戊辰戦争を描いたドラマなどで、赤地に金色の刺繍が入った旗を見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。
そこから転じた意味もしっかりおさえておきたいですよね。
この記事では、錦の御旗の意味や使い方に加えて、歴史上での扱いも詳しく解説します。
☆「錦の御旗」をざっくり言うと……
読み方 | 錦の御旗(にしきのみはた) |
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意味 | 赤地の錦に、金色の日や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗 自分の行動や主張を正当化するための名分 |
類義語 | 武家の御旗 公方御旗 御所御旗 など |
「錦の御旗」の意味
- 赤地の錦に、金色の日や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗
- 自分の行動や主張を正当化するための名分
①の「赤地の錦の上に金色の太陽や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗」という意味が転じて、②の「自分の行動や主張を正当化するための名分」という意味ももつようになりました。
ここからは、2つの意味について詳しく解説します。
意味①赤地の錦に、金色の日や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗
錦の御旗は、赤地の錦の上に金色の太陽や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗のことです。
錦の御旗は、厳密にはデザインが決まっていません。
しかし、一般的には金色の太陽と銀色の月の2組を合わせて、1つの錦の御旗といいます。
ちなみに、錦とは、2色以上の色を使って綺麗な模様を織り出した絹織物(きぬおりもの)のことです。①の意味の場合は、錦の御旗を以下のように表現することもあります。
- 錦旗(きんき)
- 菊章旗(きくしょうき)
- 日月旗(じつげつき)
意味②自分の行動や主張を正当化するための名分
錦の御旗は、自分の行動などを、誰も反対できないように正当化するための名分という意味もあります。
鎌倉時代以降、錦の御旗は絶対的な権力を示していたことから、権威づけるという意味でも使われるようになったのです。
「錦の御旗」の使い方
錦の御旗の使い方を、2つの意味に分けて見ていきましょう。
- 「赤地の錦に、金色の日や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗」という意味で使う
- 「自分の行動や主張を正当化するための名分」という意味で使う
①「赤地の錦に、金色の日や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗」という意味で使う
錦の御旗を「赤地の錦に、金色の日や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗」という意味で使う場合は、以下のような例文があります。
- 大河ドラマで錦の御旗が使用された。
- 薩長の大軍が、錦の御旗を押し立てて今にも東海道を下って来るといったような風聞が、ひっきりなしに人心を動かした。
[出典:菊池寛『乱世』]
②「自分の行動や主張を正当化するための名分」という意味で使う
錦の御旗を「自分の行動や主張を正当化するための名分」という意味で使う場合は、以下のような例文があります。
- オリンピックの開催を錦の御旗として掲げる。
- 文科省の決定であるという錦の御旗のもと、教育改革を行う。
- 戦争反対を錦の御旗として悪事をはたらく。
「錦の御旗」の歴史上での扱い
錦の御旗は、日本の歴史上に登場します。
西暦 | 出来事 |
---|---|
1221年 | 承久の乱 |
1868年 | 鳥羽・伏見の戦い |
1868年 | 錦旗紛失事件 |
1931年 | 錦旗革命事件 |
時系列ごとに、それぞれ詳しく見ていきましょう。
1221年:承久の乱
錦の御旗が日本史上初めて登場したのは、1221年に起こった承久の乱だとされています。
承久の乱は、後鳥羽上皇率いる朝廷側が、北条義時率いる鎌倉幕府を討伐しようとして敗れた戦いです。
承久の乱において錦の御旗が登場した理由として、以下の2つの説があります。
- 後鳥羽上皇が自軍の大将に与えた
- 後鳥羽上皇が自軍の大将からもらった
実際には、上記のどちらか定かではありません。
承久の乱以降、錦の御旗は「天皇の存在を示す旗」として、天皇が自軍の大将に与えるものという慣習ができたとされます。
1868年:鳥羽・伏見の戦い
錦の御旗が使われたことで有名なのは、1868年に起こった鳥羽・伏見の戦いです。
鳥羽・伏見の戦いは、旧幕府軍に対し、西郷隆盛らが率いる新政府軍が戦いを挑み勝利した戦いで、戊辰戦争のきっかけにもなりました。
新政府軍が錦の御旗を掲げたところ、旧幕府軍は戦う意欲をなくして退却したとされています。
このことから、錦の御旗は「天皇の存在を示す旗」として絶対的な権威を示すものであることがわかります。
1868年:錦旗紛失事件
錦旗紛失事件は、1868年に鳥羽・伏見の戦いが起こった後、土佐藩士の本山茂任(もとやま しげとう)が起こした事件です。
本山は、鳥羽・伏見の戦いで使用した錦の御旗を土佐藩に運ぶ途中、フランス兵に奪われます。
土佐藩主であった中島信行や、長州藩士伊藤博文らの仲介によって、取り戻すことができました。
1931年:錦旗革命事件
錦旗革命事件は、1931年10月に日本陸軍の中堅幹部によって計画されたクーデター未遂事件です。
幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)率いる政府に反発した陸軍が、クーデターを起こそうとしました。
陸軍は、政府ではなく天皇を頂点とする錦旗革命を起こすべきだと唱えたことから、錦旗革命事件と呼ばれます。
錦旗革命事件は決行予定が10月24日であったため、十月事件ともいいます。
「錦の御旗」の類義語
錦の御旗には以下のような類義語があります。
- 武家の御旗
赤地の錦に、金色の日や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗 - 公方(くぼう)御旗
赤地の錦に、金色の日や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗 - 御所(ごしょ)御旗
赤地の錦に、金色の日や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗 - 大義名分(たいぎめいぶん)
①人として守るべき正しい道
②自分の行動の根拠になる正当な理由 - 旗印/旗標(はたじるし)
①行動の目標
②旗に描く目印 - 水戸黄門の印籠(いんろう)
権威を表すもののたとえ
水戸黄門の印籠とは、TVドラマ『水戸黄門』に登場する、薬などを持ち歩くための小さな容器のことです。
TVドラマ『水戸黄門』で、印籠が徳川家の家紋を相手に見せるものとして使われることから、「水戸黄門の印籠」が「権威の象徴」という意味になりました。水戸黄門は、江戸時代、隠居した徳川光圀(みつくに)が世直しをする物語です。
印籠は、悪事を行う大名などに見せるシーンで登場します。
印籠には、徳川家の家紋である「三つ葉葵(あおい)」が描かれているため、誰であっても徳川光圀の権威に恐れることになるのです。
「錦の御旗」のまとめ
以上、この記事では錦の御旗について解説しました。
読み方 | 錦の御旗(にしきのみはた) |
---|---|
意味 | 赤地の錦に、金色の日や銀色の月を刺繍したり描いたりした旗 自分の行動や主張を正当化するための名分 |
類義語 | 武家の御旗 公方御旗 御所御旗 など |
錦の御旗は、天皇という絶対的な権力を示したものを表すのです。
意味を理解すれば、大河ドラマなどで目にした時により一層楽しむことができますね。