故事成語「天道是か非か」の意味と使い方:例文付き

言葉

今回ご紹介する言葉は、故事成語の「天道是か非か(てんどうぜかひか)」です。

「天道是か非か」の意味、例文、由来、類義語、英語訳についてわかりやすく解説します。

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「天道是か非か」の意味をスッキリ理解!

天道是か非か(てんどうぜかひか):天は善人には福をもたらし、悪人には災いをもたらすというが、善人が苦しんでいるという現実を見ると、天が本当に正しいのか疑問であるということ

「天道是か非か」の意味を詳しく

「天道是か非か」とは、天は善人には福をもたらし、悪人には災いをもたらすというが、善人が苦しんでいるという現実を見ると、天が本当に正しいのか疑問であるということです。

不運にあったときのいきどおりの言葉として用いられています。

ちなみに、「天道」とは人間をつかさどる人知を超えた運命のことです。

また、「是か非か」とは正しいのか間違っているのかということです。

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「天道是か非か」の例文

  1. 相手が審判に隠れてルール違反をし、試合に負けてしまった。天道是か非かの気持ちだ。
  2. 彼の人生を振り替えてみると、天道是か非かという気持ちになる。
  3. 天道是か非かと嘆いても仕方がない事態なのに、不満を言わない彼は素晴らしいと思う。

「天道是か非か」の由来

「天道是か非か」の出典は『史記(しき)』の「伯夷列伝(はくいれつでん)」という章です。

この章の中に出てくる以下のような文章が由来になっています。

「天の道は決してえこひいきをしない。いつも善人の味方だ」と人は言うが、どんな時でも正しい道を歩み、正しいことにかかわることでなければ怒りを発するような人が災いを受けている例は数え切れないくらいだ。

私はこうした現実の世界に対して迷わずにはいられない。

果たして天道というものは正しいものなのか、そうではないのだろうか。

この文章は司馬遷(しばせん)によって書かれたものですが、この文章の背景には彼が受けた体験があります。

 

司馬遷の友人に李陵(りりょう)という人物がいましたが、彼は匈奴(きょうど)という外敵を相手に果敢に戦いました。

しかし、彼は匈奴の側へ寝返ったと勘違いされてしまいます。

そして、ほとんどの家臣は李陵が寝返ったと思っていましたが、司馬遷だけは友人を信じて李陵の無罪を主張しました。

 

結局、李陵とともに司馬遷は罰を受けてしまいます。

具体的には、宮刑という去勢されてしまう罰を受けました。

このような非合理な世の中へのうらみが、上記のような文章として現れたと考えられています。

司馬遷

司馬遷は中国前漢時代の歴史家で『史記』の著者です。

太初暦という暦も制定しました。

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「天道是か非か」の類義語

「天道是か非か」には以下のような類義語があります。

  • 天道寧論(てんどうねいろん)
  • 首陽の薇(しゅようのわらび)
  • 采薇の歌(さいびのうた)

「天道是か非か」の英語訳

「天道是か非か」を英語に訳すと、次のような表現になります。

  • Is there no divine justice in the world?
    (世界に神の裁きはないのだろうか)
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まとめ

以上、この記事では「天道是か非か」について解説しました。

読み方天道是か非か(てんどうぜかひか)
意味天は善人には福をもたらし、悪人には災いをもたらすというが、善人が苦しんでいるという現実を見ると、天が本当に正しいのか疑問であるということ
由来『史記』にある司馬遷の言葉から
類義語天道寧論、首陽の薇、采薇の歌
英語訳Is there no divine justice in the world?
(世界に神の裁きはないのだろうか)

「天道是か非か」は不平不満を嘆く言葉だったんですね。

日常生活でピッタリな場面があったら、ぜひ使っていきたいものです。

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