「考える」と「思う」と「感じる」の違いとは?使い方まで解説

違いのギモン

「考える」「思う」「感じる」はそれぞれ、私たちが普段一番使っている動詞のひとつではないでしょうか。

ビジネスや日常会話などによって使い分けることもあれば、重複を避けるためにこれらの動詞を混ぜて使うこともあります。

そんな日常で多用される言葉だからこそ、きちんと違いを理解して、場面や状況に適したものを選びたいものです。

そこで今回は、「考える」「思う」「感じる」の違いについて解説していきます。

結論:「考える」は論理的、「思う」は主観的思考、「感じる」は認知行為

「考える」とは、知性を伴う思考のことです。

一方「思う」とは、感情や情緒を伴う思考です。

そして「感じる」とは、感受性や感覚によって認知される行為を指します。

「考える」をもっと詳しく


「考える」とは、知性によって行われる思考活動のことです。

知性によって行われる思考活動とは、知識や経験などによって裏付けされた、意識的かつ論理的になされる判断のことです。

  • 「私の経験上、感情的になっているときには、重要な判断をすべきではないと考えられる」
  • 「資本主義社会である限り、自由とは個人的なものではなく、国家における自由だと考えられる」
このように、「考える」はより客観的な視点で語られることが多い動詞です。

発言に説得力を持たせたいときや、力強い印象を与えたいときに効果的です。

「思う」をもっと詳しく


「思う」とは、感情や情緒を伴う心的活動のことをいいます。

「考える」が客観的視点による思考であるのに対し、「思う」はより主観的な想像を表します。

たとえば、以下の文章はどちらのほうがより自然でしょうか。

  • 「私は、海外セレブの生活をうらやましいと考える」
  • 「私は、海外セレブの生活をうらやましいと思う」

 

「思う」を使った文章のほうが、読んでいて違和感がありませんね。

それは、海外セレブの生活をうらやんでいるのはあくまでも『自分』であり、『うらやましい』という個人的感情が働いているからです。

しかし、この文章が「海外セレブの生活をうらやむ人が多いが、それは彼らの圧倒的な経済的余裕が理由と考えられる」のように、結果と原因を述べる文章であれば、「考える」を使った方が自然な文章になります。

 

また、次のような文章も「思う」を使ったほうが、自然な文章となります。

「週末はキャンプにでかけようと思っている」

「考える」を使うこともできますが、個人的な予定や願望について「考える」を使うと、堅苦しく回りくどい印象を与えてしまうので、このような場合には「思う」のほうが日本語として自然でしょう。

「感じる」をもっと詳しく


「感じる」とは、感情・感受性・感覚によって認知される行為のことです。

また、「感じる」とは主観的な行為であり、その点では「思う」と同じと捉えることができそうです。

しかし、「思う」が主観的な思考判断であるのに対して、「感じる」は主観的な感情判断であるという点において、違いがあります。

 

感情判断とは、怒りや悲しみなど、理屈よりも感情や感性によって判断される行為です。

なので、先の「終末はキャンプにでかけようと思っている」という文章は、「週末はキャンプにでかけようと感じている」にすると不自然になってしまいます。

 

感じるは以下のように使われます。

  • 彼とは初対面だが、親しみを感じる:何かに対して感情を抱いたときに用いられる場合
  • 冬の終わりを感じる:論理的根拠によらず、感受性によって判断される場合
  • テーブルに指をぶつけて、痛みを感じた:カラダへの刺激を通して、痛みを知覚した場合

まとめ

以上、今回は「考える」「思う」「感じる」の違いについて解説しました。

  • 考える:知性を伴う思考(客観性が強い)
  • 思う:情緒を伴う思考(主観性が強い)
  • 感じる:感情や感覚によって認知・判断する行為

場面や状況に合わせて、ふさわしい動詞を選ぶことは、コミュニケ―ションを円滑に進めるためにも重要です。

理解を求める場合は「考える」、やわらかい印象を与えたいなら「思う」、より個人的な感情を伝えるなら「感じる」など、自分の目的に合わせて言葉を選んでみてはどうでしょうか。