毎年、正月に書初めを行う方も多くいることでしょう。日本の伝統的な文化ですが、「習字」と「書道」の意味の違いを明確に説明できる人は少ないでしょう。
今回は「習字」と「書道」の違いについて説明します。
結論:字を書く目的が違う
どちらも字を書くという点では共通していますが、その目的が異なっています。
「習字」をもっと詳しく
「習字」は整った美しい字を書くための学習を指します。字の正しい書き順や、読みやすく整ったバランスで書けるように指導されます。
お手本を手元に置き、なるべくお手本に近づけた字を書くことが目標となります。お手本に近いかどうかという明確な評価基準があるため、上手い下手が重視されます。
「習字」は、主に習い事や授業として小中学生が行います。
毛筆だけではなく、鉛筆やペンなどの硬筆を用いる場合もあります。
「書写」をもっと詳しく
「書写」は「習字」と同じ意味を持っており、同じように使うことができます。
特に、授業の名称として「書写」が使われます。
「習字」の使い方の例
「習字」の使い方の例として、以下のようなものが挙げられます。
- 子どものころから習字を習っているが、硬筆の字は汚いままだ。
- 学校で習字をやった子どもが、手と服を真っ黒にして帰ってきた。
①は子どもの習い事として「習字」が使われています。書道教室や習字教室という看板が掲げられていますが、中学生以下は「書道」より「習字」を習う場合が多いです。
②の「習字」は学校の授業を指します。「書写」と言い換えることができます。
「書道」をもっと詳しく
「書道」は字の美しさを表現することを指します。つまり、芸術として扱われ、自己表現を目的としています。授業で例えれば美術に近いものです。
「書道」の美しい字とは、お手本のような整った字とは限らず、個性のある芸術的な字を指します。
「習字」は毛筆以外も対象ですが、「書道」は基本的に毛筆のみが対象です。また、高校の授業では「書道」を扱うことが多いです。
最終的な目標は芸術としての作品を書き上げることですが、初めから手癖で書いても表現できるわけではありません。したがって、「書道」も「習字」のようにお手本を学ぶ必要があります。その学びを臨書(りんしょ)と言います。
「臨書」とは
「臨書」とは、古典を手本として書を学ぶことです。
書は中国で三千五百年前に生まれ、日本には飛鳥時代に伝わました。聖徳太子により書かれた「法華義疏(ほっけぎきょう)」が最も古い書です。
書の歴史の中で、秀でた作品のみが古典として受け継がれてきています。秀でた作品とは、字の上手さだけではなく、書きぶりが他の時代には見られず、その時代特有の雰囲気を表現しているものです。
力強い表現や優しい表現など様々な表現があり、それらを学ぶことで自分自身の書が欠けるようになります。「書道」を修めるにあたって、欠かすことのできない作業です。
「書道」の使い方の例
「書道」の使い方の例として、以下のようなものが挙げられます。
- 書道家に依頼し、家の表札を書いてもらった。
- 高校生のときに書道をやっていたため、仕事場で代筆を頼まれることが多い。
①の「書道」は「書道家」で書道を仕事にしている人を指します。書道教室や学校の先生を勤めたり、作品の販売や題字の制作を行ったりします。
②は字の美しさを表現することという意味で「書道」が使われています。
まとめ
以上、この記事では、「習字」と「書道」の違いについて解説しました。
- 習字:整った美しい字を書くための学習。筆だけでなく鉛筆やペンも使う。
- 書道:字の美しさを表現すること。筆のみを使う。