「逡巡」と「躊躇」の違いとは?意味から使い分けまでわかりやすく解説

違いのギモン

するべきか、しないべきか。重要な決断が必要なときに、迷うことは誰にでもあります。

迷うことを意味する熟語には、「逡巡(しゅんじゅん)」と「躊躇(ちゅうちょ)」があります。

「逡巡と言うべきか、躊躇と言うべきか」と、さらに迷ってしまうことのないよう、意味の違いを分かりやすく説明します。

結論:「逡巡」の方が「躊躇」よりも悩みが重い

「逡巡」は「躊躇」よりも迷いが深刻です

ある行為をするにあたっての迷いを例にしましょう。

「そもそもその行為をするかどうか」という迷いには「逡巡」を使います。

一方、その行為をしている途中で、「途中で辞めようか」とか「AとBのどちらの方法でやろうか」といった迷いが生じたら、それは「躊躇」と言います。

「逡巡」をもっと詳しく

「逡巡」は、「決断に際して尻込みしてしまっている状況」を指します。

「逡」も「巡」も、「まわる」「めぐる」という意味の漢字です。ある事柄に対して考えを進めようとしたものの、結局振り出しに戻ってしまうようなニュアンスがあります。

 

たとえば、あなたが冬山登山をしようかどうか考えているとします。

あなたは、登山に成功したときの達成感や、自分の登山技術の向上など、様々なメリットを思い浮かべます。「やっぱり冬山に挑戦したい」という気持ちが強まります。

しかし同時に、「雪崩(なだれ)に巻き込まれたらどうしよう」とか「冬山登山はしたことがないから不安だ」という心配もするでしょう。

結局、「冬山登山をする」という決断は下せず、冬山登山をするかどうかという検討も振り出しに戻ってしまいました。このような状況を、「冬山登山をすべきかどうか逡巡している」と表現します。

 

他に決断を前に尻込みする状況として、抽象的な議論も挙げられます。

「死後の世界はあるのかどうか」などの抽象的なテーマを考えていても、思考がもつれ合って結局議論が振り出しに戻ることが少なくありません。抽象的なテーマに対して、はっきりと結論を出すのは難しく、逡巡することが多いでしょう。

「躊躇」をもっと詳しく

躊躇は、「あれこれと悩んで決断ができない状況」という意味です。悩んでいる対象が目前に迫っているのが「躊躇」のニュアンスです。

「躊」は「ためらう」、「躇」は「とびこえる」という意味があります。つまり、躊躇は「とびこえるのをためらう」という状態です。

 

ある行為をするにあたって「躊躇」しているときは、既に行為を始めていたり、行為を始める直前だったりするニュアンスがあります。一方「逡巡」の場合は、行為をするかどうか決まっていない状況というニュアンスがあります。

冬山登山の例で考えてみましょう。あなたは冬山登山に行くべきか行かないべきか逡巡した結果、冬山登山に行くことに決めました。

しかし、登山前日に大きな雪崩が起こったとします。ここで「登山をするべきか、しないべきか」と迷っている状況を、「冬山登山をするかどうか躊躇している」と言います。

既に登山するつもりで山の近くまで来ていたが、やるべきかやめるべきか迷っている状態です。

 

一度動き出した物事に対して「続けるべきか、やめるべきか」と考えるのが躊躇だとも言えるでしょう。逡巡は、まだ動き出していない物事に対して「するべきか、しないべきか」と考えるという違いがあります。

まとめ

以上、この記事では、「逡巡」と「躊躇」の違いについて解説しました。

  • 逡巡:決断に際して尻込みしてしまい、考えが振り出しに戻る状況
  • 躊躇:決断が出せない状況で、対象となる物事は差し迫っている

それぞれの言葉の意味が理解できれば、迷っている場面を言い表すのに「逡巡」を使うか「躊躇」を使うかで迷うことがなくなるでしょう。