今回ご紹介する言葉は、熟語の「慚愧(ざんき)」です。
言葉の意味・使い方・語源・類義語・対義語・英語訳についてわかりやすく解説します。
☆「慚愧」をざっくり言うと……
読み方 | 慚愧(ざんき) |
---|---|
意味 | 自分の言動を反省し、恥ずかしく思うこと |
語源 | サンスクリット語・仏教用語 |
類義語 | 後悔、自責、痛恨の極みであるなど |
対義語 | 無慚、無愧 |
英語訳 | shame(恥・慚愧)・be overwhelmed with shame(慚愧の念に堪えない) |
「慚愧」の意味をスッキリ理解!
「慚愧」の意味を詳しく
慚愧は「自分の行ったことを恥じて反省すること」を意味します。一般的に「ざんき」と読まれますが、「ざんぎ」と読むこともあります。漢字も一般的には「慚愧」の字が使われますが、「慙愧」と書くこともあります。
「慚愧」を構成する漢字には、それぞれ以下のような意味があります。
・愧:世間に照らして自分がなした過ちを恥じること
そして慚愧は深い反省を意味しているため、この言葉には「同じ過ちを繰り返さない」という意味も込められています。
また、上記の意味以外にも、慚愧には「悪口を言うこと」という意味があります。文脈においてどのような意味で使われているか注意しましょう。
「慚愧」の使い方
- 私の不注意でこのような事件が起きてしまい、慚愧の至りです。
- 我が社が起こした不祥事については慚愧の念に堪えません。
慚愧という表現は、上記にあるような「慚愧の念に堪えない」や「慚愧の至り」という形で使われることが多いです。
「慚愧の念に堪えない」とは、「自分の行動を恥じる気持ちが我慢できない」という意味です。また「慚愧の至り」とは、自分の過ちを非常に深く反省している様子を表しています。
「慚愧」の語源
慚愧は元々サンスクリット語が語源であり、仏教界で使われていた言葉です。
仏教においては「慚」と「愧」は同時に生じる心の動きであり、心が善でないときは「無慚」と「無愧」という、自分の過ちを恥じない気持ちが生じると考えられています。
この「無慚」や「無愧」という表現が使われている仏教用語として、「無慚無愧のこの身にてまことの心はないけれども」という言葉があります。これは「罪を罪と感じず、恥じることなく生きている私に真実の心はないが」という意味で、過ちを恥じない自分の心を悪いものとして表現しています。
また、「慚愧懺悔(ざんぎさんげ)」という仏教用語も存在します。これは仏の前で今までの自分を反省し、罪を告白することで心を改めるという意味です。
このように、慚愧という表現は仏教用語としても、自分の過ちを反省するという意味で使われていました。
「慚愧」の類義語
慚愧には以下のような類義語があります。
- 後悔:自分が行ったことを後で悔やむこと
- 自責:自分で自分の過ちをとがめること
- 痛恨の極みである:非常に悔やんでいる様子
- 恥入る(はじいる):非常に恥ずかしいと思っている様子
上記の表現の中では、「後悔」や「自責」といった表現がよく使われます。「慚愧」はこれらの表現と比べ、さらに深く自分の過ちを悔やみ反省している場合に使用されます。
「慚愧」の対義語
慚愧には以下のような対義語があります。
- 無慚:宗教的な決まりに反しても恥じないこと
- 無愧:自分の悪い行いを反省しないこと
「慚愧」の英語訳
慚愧を英語に訳すと、次のような表現になります。
- shame
(恥・慚愧)
慚愧は「恥」と言い換えることができます。そのため、英単語ではshameが一般的に用いられます。また、「慚愧の念に堪えない」は英語では “be overwhelmed with shame” や “feeling deeply ashamed of oneself” といった表現で表すことができます。
まとめ
以上、この記事では「慚愧」について解説しました。
読み方 | 慚愧(ざんき) |
---|---|
意味 | 自分の言動を反省し、恥ずかしく思うこと |
語源 | サンスクリット語・仏教用語 |
類義語 | 後悔、自責、痛恨の極みであるなど |
対義語 | 無慚、無愧 |
英語訳 | shame(恥・慚愧)・be overwhelmed with shame(慚愧の念に堪えない) |
このように、慚愧とは深い反省の念を表す表現です。漢字も難しく間違えやすい言葉ですが、意味や使い方を確実に覚えましょう。