「相対的貧困」と「絶対的貧困」の違いとは?わかりやすく解説

違いのギモン

あなたは「相対的貧困」と「絶対的貧困」という言葉を知っていますか。なんだか漢字が並んで、難しそうと感じる人もいるかもしれません。

しかし、「貧困」という言葉は聞いたことがあると思います。「貧困」とは、貧しく、生活が困窮(こんきゅう)している状態のことです。

実は、この「貧困」は、先進国で社会保障制度が充実した現状の日本においても問題視されています。実は、「相対的貧困」と「絶対的貧困」の違いは、そのことに深く関係しています。

今回は、「相対的貧困」と「絶対的貧困」の違いについて詳しく解説します。今後の日本社会においても、話し合われていくであろう内容なので、しっかりと覚えておきましょう。

結論:「相対的貧困」は、その国で所得が低いこと。

「相対的貧困」とは、その国の中で特に所得が低く、平均的な生活がおくれない状態のことです。

「絶対的貧困」とは、貧しさにより、衛生的な住環境や十分な食事がままならない状態のことです。

そもそも「相対的」と「絶対的」って何?

「相対的」とは、1つのものを、他のものとの比較によって、理解するということです。

一方、「絶対的」とは、他のものとの比較を一切せず、影響されずにいる状態のことです。

「相対的貧困」をもっと詳しく

「相対的貧困」とは、その国の多くの人々と比べて特に所得が低く、平均的な生活が難しい状態のことです。

英語では “relative poverty” といいます。具体的な算出は、次のように行います。

  1. 「可処分所得」(1家族あたりの収入から税金・保険料等を除いたもの)を算出する
  2. 「可処分所得」を、家族の人数で調整する
  3. 調整した「可処分所得」を小さい順に並べる
  4. 母体の半分の順位(1000万人を調査したなら、500万番目)を中央値とする
  5. 調整した「可処分所得」が、中央値の半分以下の人を「相対的貧困」とする

また、その国の総人口のうち、「相対的貧困」である人の割合を「相対的貧困率」といいます。

日本の「相対的貧困率」は、先進国の中では高めです。2009年の総務省の「全国消費実態調査」では 10.1%、2012年の厚生労働省の「国民生活基礎調査」では 16.1%という結果が出ています。一般的には、日本人の6人から7人に1人が「相対的貧困」に当たると言われています。

 

「相対的貧困」は、中央値を元にして算出する貧困であるため、発展途上国でも先進国でも必ず該当者が出てきます。しかし、「相対的貧困」としての線引きは、その国の人々の所得によって変化します。傾向としては、発展途上国よりも先進国の方が「相対的貧困」の基準は高いです。

ちなみに、2009年の「全国消費実態調査」の「相対的貧困」となる調整後の「可処分所得」は 135 万円でした。また、2012年の「国民生活基礎調査」の「相対的貧困」である調整後の「可処分所得」は 122 万円でした。

実際に「相対的貧困」となりやすい条件としては、シングルマザー・シングルファザーがあります。子育てと仕事の両立を1人で担う必要があるため、どうしても所得が少なくなってしまいます。そして、そのような場合に、問題となるのは「子どもの貧困」です。

 

「子供の貧困」が問題視されている理由は、貧困が幼少期のみにとどまらず、大人になった時、さらには新しく産まれた子供に引き継がれる可能性があるからです。

幼少期に、身近な同世代の人に比べて、貧しい・劣っていると認識することは、自分への劣等感・自己肯定感の低下へと繋がります。

 

すると「努力して高い地位についてやろう」「頑張って立場をひっくり返そう」といった挑戦的な感情はなくなります。そして「どうせ、僕なんかがやっても」というような消極的で無気力な思考となります。

その結果、「宝くじ当たらないかな」といった他力本願の姿勢や、「もういいや」といった自暴自棄の姿勢になりやすくなります。そのような姿勢は、貧困の持続につながります。

 

また、貧困により高校・大学へ通うことができなければ、就職先が限られてしまいます。日本の就職においては学歴が重要視され、就職先が生涯賃金に大きく寄与します。高校へ通うことができなかった人は、それ以降の教育を受けた人に比べ、大人になった時に貧困率が高い傾向にあります。

そのため、新しく生まれてきた子供も「相対的貧困」となる可能性が高いです。つまり、「子供の貧困」は、高確率でそれ以降の世代へと引き継がれていきます。

2012年の17歳以下を対象とした「子どもの貧困率」は 、16.3%となっています。このような背景を受け、第二次安倍政権は「教育改革」を掲げ、お金がかからない教育の実現に取り組んでいます。

「絶対的貧困」をもっと詳しく

「絶対的貧困」とは、国内の他の人々の経済状況とは無関係に、生きていくために必要なお金がなく、衛生的な住環境や十分な食事がままならない状態のことです。

「絶対的貧困」のラインとなる収入は、嗜好品(しこうひん)(※)や娯楽にお金をかける余裕がなく、なんとか最低限の生活を維持できる状態です。このような基本的な生活に必要なもののことを、「ベーシック・ヒューマン・ニーズ(basic human needs)」といいます。

英語では “absolute pocerty” です。一般的に「貧困」と言われて連想されるのは、この「絶対的貧困」であり、狭義の「貧困」といえます。

 

世界銀行は、「絶対的貧困」の定義をしています。元々1993年には1日あたり1ドル未満で生活している人、とされていましたが、2008年に1日あたり1.25ドル未満で生活している人となりました。

また、2015年10月には、1日あたり1.90ドルが貧困のラインとなりました。この2015年の変更は、途上国に対するドル安が続いたことによるものです。

つまり、現在の「絶対的貧困」の具体的な基準は、1日あたり209円(1ドル110円で計算)程度となります。このような人の割合は、世界人口の10%程度であると言われています。

  • 嗜好品(※):生きていくためではなく、楽しむための食べ物や飲み物。酒、タバコ、清涼飲料、コーヒー、菓子類など

「貧困」の研究について

「貧困」の研究を進めた著名な研究者として、ベンジャミン・シーボーム・ラウントリー(Benjamin Seebohm Rowntree)がいます。彼は20世紀前半に活躍したイングランドの社会学者です。

彼は、「貧困線」という概念を唱えました。「貧困線」とは、大人1人が1年間の生活において必要な境界線となる所得のことです。家賃、光熱費、食料、衣服、その他の雑費を含めて算出されました。これは、現在の「絶対的貧困」の考え方として共通するものがあります。

また、彼は「貧困線」を下回る所得を「第一次貧困」、「貧困線」をわずかに上回る所得を「第二次貧困」と定義しました。これらの概念は、これ以降の研究にも活用・応用されていきました。

さらに、子供や高齢者などの特定の世代が、特に貧困に陥りやすいこと、貧困は循環すること、貧困は賃金の低さにこそ原因があることを主張しました。

まとめ

以上、この記事では、「相対的貧困」と「絶対的貧困」の違いについて解説しました。

  • 相対的貧困:その国において、特に所得が低い状態
  • 絶対的貧困:最低限の生活がままならないレベルの貧困のこと
憲法25条では、国民には「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」があることが規定されています。確かに、現状の日本には生活保護などの社会保障制度があり、「絶対的貧困」である人はほとんどいません。しかし、本当にそれだけで十分なのでしょうか。

「文化的」というからには、生活にある程度のゆとりがあり、文化を享受する余裕があるということです。しかし、「相対的貧困」である人々の全てが「健康で文化的な最低限度の生活」を営んでいるとは言い切れないでしょう。

だからこそ、「絶対的貧困」だけではなく、「相対的貧困」についても、今後考えていく必要があるでしょう。