「同盟」と「協商」と「協約」の違いとは?例までわかりやすく解説

違いのギモン

歴史を勉強していると、専門用語が多く出てきます。それらの意味が分からずに混乱し、つまずいてしまうこともあると思います。

そこで今回は、違いの分かりにくい「同盟」「協商」「協約」について、意味と違いを解説していきます。

結論:約束の強さが違う

「同盟」「協商」「協約」は、どれも国家間の約束ごとについての言葉ですが、その約束の強さが異なります。

「同盟」は、お互いが協力して敵に立ち向かうことを、書類上で約束するものです。

「協商」は、国家間のゆるい協力関係のことです。条約や書類に基づくものではありません。

「協約」とは、国際法に基づいて定められる、公式な国家間の合意です。

「同盟」とは


同盟とは、ブリタニカ国際大百科事典では「複数国が団結し、敵国または仮想敵国に対抗する勢力を作り、それによってみずからの国家集団の安全を保とうとする組織」と書かれています。英語では ”alliance” です。

つまり、「いくつかの国が団結し、力を合わせて敵に立ち向かうための約束」です。「どのような場合に相手を助けるか」が書類上に明確に決められており、これを守る義務があります。

同盟と聞くと、戦争の時に結ばれるものだというイメージが強いですよね。しかし、実際には軍事面だけでなく、政治面・経済面で結ばれることもあります。

過去にあった同盟には次のようなものがあります。

  • 日英同盟
  • 日独伊三国同盟

詳しく見ていきましょう。

日英同盟

日英同盟とは、1902 年に日本とイギリスの間で結ばれた軍事同盟です。

ロシアは、冬でも凍らない港を手に入れるためアジアを侵略しようとしていました。当時ロシアはドイツと仲良くしており、ロシアが力をつけるとドイツの勢力も広がる状況でした。

ロシアに侵略されたくない日本と、ドイツが力をつけると困るイギリスは、「ロシアがアジアに進出しないようにしたい」という共通の目標を持ち、同盟を結びました。

日英同盟が結ばれた 2 年後の 1904 年に日露戦争が始まりました。この戦争中、日本は様々な面でイギリスに助けられました。この同盟がなかったら、戦争の勝敗は変わっていたかもしれません。

日独伊三国同盟

日独伊三国同盟とは、1940 年に日本・ドイツ・イタリアの間で結ばれた軍事同盟です。

第二次世界大戦では、この三国が同じ陣営に立ち、三国協商を中心とする国々と戦いました。日独伊三国同盟の成立の背景には次のような理由がありました。

日本は1937 年から日中戦争をしており、中国を支援しているアメリカを牽制(けんせい)する必要がありました。

ドイツはヒトラーが支配していた時代で、ソ連進出が目的でした。日本の協力で、東西から攻めて兵力を分断する作戦を立てていました。

イタリアはヨーロッパ内で孤立しており、ドイツと仲良くしようとしていました。

しかし、皆さんもご存知の通り、第二次世界大戦は、日独伊三国同盟側の敗北に終わりました。

このように、同盟とは、他国との関係性などを考えた上で、自国の得を増やすために結ばれるものです。

「協商」とは


協商とは、ブリタニカ国際大百科事典によると「条約や協定などに直接基づかない、国家間のゆるい協力・提携関係」を指しています。

同盟との大きな違いは、書類による公式な約束がないため、柔軟性が高い関係性である点です。そのため、名前だけの協商関係になってしまうこともあります。反対に、より強固になり同盟関係に変化することもあります。

有名な協商関係には、英仏露三国協商などがあります。

英仏露三国協商

三国協商とは、19 世紀末から 20 世紀頭に、イギリス・フランス・ロシアの間で結ばれた協商関係です。第一次世界大戦は、この三国協商側と、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟側に分かれて戦いました。

三国協商は、以下の 3 関係によって作られました。

  • 露仏同盟:1891 年成立。経済効果や、三国同盟側への牽制が目的
  • 英仏協商:1904 年成立。お互いの植民地を認め合う内容
  • 英露協商:1907 年成立。力をつけていたドイツに対抗することが目的

三ヵ国がそれぞれ協商・同盟を結んだことで、三国間に協商関係が成立しました。

「協約」とは


協約とは、ブリタニカ国際大百科事典には「国家間において、国際法によって規律される国際的同意」とかかれています。

つまり「国際法によって決められた国同士の約束ごと」です。

「条約」「憲章」「議定書」なども同じものを指しています。

ただの国同士の約束ではなく、国家法という法律に基づいたものなので、協商や同盟よりも強い効力を持っています。しかし、一方的に破棄することが認められています。

代表的な協約には、日露協約などがあります。

日露協約

日露協約とは、日本とロシアの間に 1907 年に結ばれた協約です。

日露戦争が終わったあと、支配地などに対するお互いの権利をどこまで認めるかを決めたものです。

しかし 1917 年にロシア革命が起き、ロシア帝国が滅亡しました。後にできたソビエト連邦は日露協約を守らなかったため、ここで決められた日本の権利も危なくなってしまいました。

まとめ

以上、この記事では「同盟」「協商」「協約」について、違いを解説しました。

  • 同盟:いくつかの国家が、協力して敵に立ち向かうための約束。公式の書類を作る
  • 協商:いくつかの国家が、ゆるやかに協力関係を取るという約束
  • 協約:国際法に基づき、二国間が取り決めを行う。国家間では最も強い効力を持つ
言葉の正しい意味が分かれば、歴史の内容をより深く理解できるかもしれませんね。