かなり違う?「見識」と「見解」と「見聞」の違いを解説!

違いのギモン

「見」という漢字が含まれる熟語が日本にはたくさん存在しています。その中でも特に、「見識」と「見解」と「見聞」は似たような文脈で使われることが多いため、意味を間違って覚えてしまいがちです。

今回は、「見識」と「見解」と「見聞」の違いについて解説します。

結論:意味が大きく違う

見識は、物事を正しく理解するための能力や、その能力を元にした考え方を指します。

それに対して見解は、問題に対しての個人の意見や考え方のことを指します。

さらに見聞とは、見たり聞いたりして得た知識や経験のことを指します。

「見識」をもっと詳しく


見識とは、物事の本質を見通す能力を指す言葉のことです。

本質を見通すためには、物事に対するしっかりとした考え方や正しい判断を下す力が必要です。こうしたものを指す場合にも、見識という言葉が使われます。

また、こうして物事の本質を見通したうえで得た知識をもととして、何かしらの意見をもった場合、その意見を指して見識ということもあります。

 

見識という言葉を含む表現として、「見識が広い」「見識がある」「見識張る」といったものがあります。

「見識が広い」は、物事に対しての考える力や判断力が特に秀でていることを指すときに使われます。また、「見識がある」は、ある物事に対しての知識が豊富に備わっていることを表す言葉です。

そして、「見識張る」とは、実際には知識に基づいた考えや判断力が劣っているのにも関わらず、自分にはそうした力が備わっているかのように振る舞うことを指す言葉です。

「見識」の使い方の例

  • 見識が備わっている人は立派だ。
  • 見識が広い人は、生徒会長にふさわしいと考えられる。

「見解」をもっと詳しく


見解は、物事に対しての考え方や意見を指す言葉です。そのため、ある物事に対しての見解は、人によって異なる場合がほとんどです。

また、見解は主に公的な機関によって説明され物事に対しての意見・考えに対して使われるという特徴を持っています。

そのため、友人が何かしら自分の話をした後、それに対する意見として「自分の見解は・・・」ということはほとんどありません。

 

また、見解という言葉は、ある意見を聞いたときにすぐに聞いた意見に対して自分の意見を述べる場合には用いられません。基本的に意見を聞いた後、自分でしっかりと考えた後に自分の意見を述べる際に使われる言葉です。

「見解」の使い方の例

  • 原発に対しての考え方は、有識者であっても見解が分かれており、難しいところだ。
  • 環境問題に対しての私の見解は、以下の通りである。

「見聞」をもっと詳しく


見聞は、実際に見たり聞いたりする行為のことや、その行為から得た知識や経験を指す言葉です。ほかにも、見たり聞いたりした何かしらのものの評判についても見聞に含まれます。

そのため、自分が何かしら体を動かして得た体験は見聞には含まれません。

また、見聞は基本的には「けんぶん」と読みますが、「けんもん」と読むこともあります。

 

見聞が含まれる表現として、「見聞を広める」というものがあります。

この言葉は、「見たり聞いたりして豊富な知識を得ること」という意味です。

「見聞」の使い方の例

  • 海外旅行に行って、自分の見聞を広めたいと考えている。
  • 取材先で実際に見聞した内容を記事にまとめる。

まとめ

以上、この記事では、「見識」「見解」「見聞」の違いについて解説しました。

  • 見識:物事を正しく理解する能力や、それを元にした考え方のこと
  • 見解:公的な問題に対しての意見や考え方のこと
  • 見聞:見たり聞いたりして得た知識や経験のこと
このように、似た単語が使われている3つの熟語ですが、意味は全く異なっています。紛らわしい言葉ではありますが、正しい文脈の中で使えるよう、トレーニングをしていきましょう。