「泥中の蓮」の意味とは?読み方は?使い方から英語や類語まで解説

言葉

今回ご紹介する言葉は、ことわざの「泥中の蓮」です。

言葉の意味・使い方・由来・類義語・対義語・英語訳についてわかりやすく解説します。

☆「泥中の蓮」をざっくり言うと……

読み方泥中の蓮(でいちゅうのはす)
意味汚れた環境の中でも周りに影響されずに、清らかさを保っていることのたとえ
由来蓮が泥の中でも美しく咲くようすから
類義語涅すれども緇まず、蓮は濁りに染まず、蓮華の水にあるがごとし、濁りに染まぬ蓮
対義語朱に交われば赤くなる
英語訳A myrtle among thorns is a myrtle still.(茨の中でもギンバイカはギンバイカ)

「泥中の蓮」の意味をスッキリ理解!

泥中の蓮(でいちゅうのはす):汚れた環境の中でも周りに影響されずに、清らかさを保っていることのたとえ

「泥中の蓮」の意味を詳しく

「泥中の蓮」とは、汚れた環境の中でも周りに影響されずに、清らかさを保っていることのたとえのことです。

「汚れた環境」とは、「物理的に汚染されている環境」という意味ではありません。周りに煩悩(ぼんのう)や、煩悩を誘うような要因が多い環境のことです。

煩悩とは、肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など、人の欲望や悪い感情などの多くのものが含まれます。

このような環境が周りにあっても自分自身はまっすぐに生き、清らかで純真な心や姿を保っている人のことを「泥中の蓮」と表します。

「泥中の蓮」の使い方

  1. 汚職でまみれた政治家たちのなかで、彼だけは泥中の蓮のように真っ当に生きている。
  2. 彼女は泥中の蓮のように、周りのひねくれた考えに影響されていない。
  3. 決して自分の信念を見失うことのない彼は、まるで泥中の蓮のような存在だ。

「泥中の蓮」の由来

「泥中の蓮」はもともと仏教用語として使われていました。仏教の教えが書かれている『維摩経(ゆいまきょう)』という書籍の一文が由来になったと言われています。

『維摩経』の中にある以下の文章があります。

譬如高原陸地不生蓮花、卑湿淤泥乃生此華

譬えば高原の陸地には蓮華は生ぜず、卑湿ひしつの汚泥にいましこの蓮華を生ずるが如し

「蓮の花は、高原の陸地に咲くのではなく、湿った泥の中に咲く」という意味の文章です。

実際に、蓮は白やピンクの大変きれいな花を咲かせますが、乾いた陸地ではなく泥や池などの水の中で生息します。

特に、泥などの汚れている水でよく育ち、澄み渡った真水の中では育ちにくいと言われています。

「泥中の蓮」の類義語

「泥中の蓮」には以下のような類義語があります。

  • 涅すれども緇まず(でつすれどもくろまず):汚れた世の中や環境にいても悪影響を受けず、正しい行いをすること
  • 蓮は濁りに染まず(はあすはにごりにそまず)
  • 蓮華の水に在るが如し(れんげのみずにあるがごとし)
  • 濁りに染まぬ蓮(にごりにそまぬはす)

「蓮は濁りに染まず」「蓮華の水にあるがごとし」「濁りに染まぬ蓮」の3つはどれも「蓮が濁った水の中で育つ」という様子から、「汚れた環境の中でも周りに影響されずに、清らかさを保っていることのたとえ」という意味で使われています。

「泥中の蓮」の対義語

「泥中の蓮」には以下のような対義語があります。

  • 朱に交われば赤くなる:人は関わる相手や環境によって、良くも悪くもなるというたとえ

「泥中の蓮」の英語訳

「泥中の蓮」を英語に訳すと、次のような表現になります。

  • A myrtle among thorns is a myrtle still.
    (茨の中でもギンバイカはギンバイカ)

“myrtle” (ギンバイカ)は、ギリシャ神話に登場する神木で、愛と不死の象徴とされています。

茨の中にあったとしても神木としての、そして愛と不死の象徴としての「ギンバイカ」は「ギンバイカ」であることに変わらないという意味です。

まとめ

以上、この記事では「泥中の蓮」について解説しました。

読み方泥中の蓮(でいちゅうのはす)
意味汚れた環境の中でも周りに影響されずに、清らかさを保っていることのたとえ
由来蓮が泥の中でも美しく咲くようすから
類義語涅すれども緇まず、蓮は濁りに染まず、蓮華の水にあるがごとし、濁りに染まぬ蓮
対義語朱に交われば赤くなる
英語訳A myrtle among thorns is a myrtle still.(茨の中でもギンバイカはギンバイカ)

「泥中の蓮」はもともと仏教用語でしたが、現代では日常生活においても使うことができます。