「十分」と「存分」の違いとは?意味から使い方までわかりやすく解説

違いのギモン

「十分」と「存分」は、「満ち足りている」という意味でよく使われる言葉ですが、実はそのニュアンスは微妙に異なります。この記事では、「十分」と「存分」の違いをわかりやすく、例を挙げながら解説していきます。

結論:「十分」は客観的、「存分」は主観的に満ち足りた様子。

「十分」は客観的に、「存分」は主観的に満ち足りているさまを表す言葉です。

「十分」はある基準や数値を満たしつつ、客観的に満ち足りた状態をしめす言葉なのに対して、「存分」は制限のない状態で自分の思うままに物事をおこなうさまを表し、主観的に満ち足りた状態を表す言葉です。

「十分」をもっと詳しく


「十分」は、ある基準に対して数値的に満ち足りていて不足がない状態を意味します。また、割合を表す言葉でもあり、ひとつのものを10段階に分けた場合の10、つまり10割という完全に満たされている状態をしめします。テストを例に挙げるとすると、100点満点と同じ意味になります。

さらに、「十分」は数値的に満たされている状態を意味するだけでなく、物理的にも満たされている状態をしめします。このように、量や数を基準としているため、満ち足りている状態を誰が見てもわかるように客観的に表す言葉です。

「十分」の使い方の例

それでは、実際にどのように「十分」が使われるのか、例を挙げて説明します。

  1. お鍋に十分なお湯をそそぐ。
  2. 今日は十分テニスの練習をした。
①の場合の「十分」は、数値的に決められているお湯の量があり、それを満たしている量のお湯をそそぐという意味になります。

②の場合の「十分」は、あらかじめ決められている練習量があることをしめしています。その練習量をこなす分の「十分」な練習をしたという意味になります。

「十分」使用時の注意点

「十分」は、数値的・物理的にある基準を満たしている場合に使用すると説明しました。しかし、この「十分」という言葉を使用する際に注意しなければならない場面があります。それは、「十分(じゅうぶん)」と「10分」の意味が混同してしまい、どちらの意味なのかわからなくなってしまう場合です。

ここでは「十分水にひたす」を例に挙げて説明します。この例文からでは、「十分(じゅうぶん)」水にひたすのか、それとも「10分」水にひたすのか、意味が不明瞭です。

「十分」を使うことで、「十分(じゅうぶん)」なのか「10分」なのか、意味が不明瞭になってしまう場合があります。使用する際には注意が必要です。

「存分」をもっと詳しく


「存分」には、制約や制限にとらわれずに、自分が「思うまま」、自分の「思い通り」に物事をおこなうという意味があります。

また「存分」は、量や数を基準とした「十分」とは異なり、自分が満たされているのかどうかが主体となる主観的な言葉です。自分の思いに重点が置かれているため、たとえ数値的に満たされたとしても、自分が満たされていると感じなければ、「存分」とは言えないわけです。

「存分」の使い方の例

それでは、「存分」の使い方を例を用いながら解説します。

  1. 思う存分に歌を歌う。
  2. 昨日は思う存分に睡眠をとった。
①の例では、形式などにとらわれずに自分の歌いたいように、自分が歌いたいだけ歌を歌ったことを意味します。

②の例では、時間に関係なく自分が満足するだけ、睡眠をとったという意味になります。

まとめ

以上、この記事では、「十分」と「存分」の違いについて、例を挙げながら解説しました。

  • 「十分」:基準や数値を満たし、客観的に満ち足りている様子。
  • 「存分」:自分の思いに重点が置かれ、主観的に満ち足りている様子。

「十分」と「存分」のどちらを使用するのかを迷った際には、基準を満たすように客観的な意味なのか、それとも自分の気持ちが満足しているというような主観的な意味なのか、確認してみましょう。