故事成語「火を乞うは燧を取るに若かず」の意味と使い方:例文付き

言葉

今回ご紹介する言葉は、故事成語の「火を乞うは燧を取るに若かず(ひをこうはすいをとるにしかず)」です。

意味、使い方、由来、類義語、対義語についてわかりやすく解説します。

「火を乞うは燧を取るに若かず」の意味をスッキリ理解!

火を乞うは燧を取るに若かず:人を頼るよりも、自分で努力すべきだということ

「火を乞うは燧を取るに若かず」の意味を詳しく

「火を乞うは燧を取るに若かず」は、「人に頼らず自分で努力しよう」というたとえです。人から火をもらおうとする(乞う)のではなく、燧(すい:火打石)を取って自分で火を起こす方がいいと言っているのです。

この言葉には続きがあって、「(きゅう)を寄するは井(せい)を鑿(うが)つに若かず」とあります。火のたとえに続いて、人の井戸から水を汲ませてもらうよりも、自分で井戸を掘る方が良いと言っています。

 

「AはBに若かず」は、「AはBに及ばない」、つまり「AよりBの方がいい」という意味です。「火を乞う」よりも「燧を取る」方が「いい」というのはどのような点でなのでしょうか。既に他の人がおこした火があるのならば、そこからもらう方が楽ですよね。

しかし、それでは自分のためにならないという点で、「火を乞う」のは「よくない」のです。

実は、この言葉は学問のあり方について述べています。人に頼るのではなく、自分に頼るのが学問を進める上で大切だと説いています。

「火を乞うは燧を取るに若かず」の使い方

  1. 火を乞うは燧を取るに若かず。何でも人に聞かず自分で調べた方が勉強になる。
  2. 外注していた仕事を社内で始めたら経費削減ができた。火を乞うは燧を取るに若かずだ。
  3. 火を乞うは燧を取るに若かずとは言うが、たまには人に頼ることも大事だと思う。

「火を乞うは燧を取るに若かず」の由来

「火を乞うは燧を取るに若かず」は、古代中国の書物『淮南子(えなんじ)』の一節からきている言葉です。

『淮南子』は今から2000年以上前に書かれた思想書です。さまざまな教訓を含んでいて、今でも読まれ続けている古典です。「火を乞うは燧を取るに若かず」のほかにも、『淮南子』に由来する故事成語は多くあります。

 

「火を乞うは燧を取るに若かず」の理由は、「本質を知ることが重要だから」です。人から与えられていたのでは、いつまでも本質がわかりませんよね。

本質が大事であるという例をいくつも挙げて、最後に「火を乞うは燧を取るに若かず、汲を寄するは井を鑿つに若かず」と結んでいます。

例の一つに、川のたとえが出てきます。中国を代表する「黄河」は、非常に曲がりくねって流れ、海に注いでいます。それでも水の枯れることがないのは、常に源流の山から水を集めているからです。

川が本質(源流)を持っているために枯れないように、本質を知っていれば力になるということを伝えています。

「火を乞うは燧を取るに若かず」の類義語

「火を乞うは燧を取るに若かず」の類義語としては、「杖にすがるとも人にすがるな」という諺(ことわざ)があります。

「安易に人に助けてもらうのはよくない」という意味の言葉です。歩くのがつらいときはつい人の肩を借りたくなりますが、杖をつくという自分だけでできる対策もありますよね。

このような、自分で解決できるのならば自分でやるべきだという考え方は、様々な場面でみられるでしょう。

「火を乞うは燧を取るに若かず」の対義語

「火を乞うは燧を取るに若かず」の対義語としては、「輿馬(よば)を仮る者は足(そく)を労せずして千里を致す」という故事成語があります。「車や馬を借りれば、遠い道のりも楽に行けてしまう」というたとえです。人を頼るのも大事という意味ですね。

実はこの言葉は、「火を乞うは燧を取るに若かず」と同じ『淮南子』が由来となっている言葉なのです。正反対の内容を一つの本の中で言っているのは矛盾しているような気もしますが、どちらの考え方も大切ですよね。

まとめ

以上、この記事では「火を乞うは燧を取るに若かず」について解説しました。

読みかた火を乞うは燧を取るに若かず(ひをこうはすいをとるにしかず)
意味人に頼るよりも、自分で努力する方がいいということ
由来古代中国の思想書『淮南子』の一節より
類義語「杖にすがるとも人にすがるな」
対義語「輿馬を仮る者は足を労せずして千里の道を致す」

自分で試行錯誤しながらやったものは、なかなか忘れないですよね。努力するのは自分のためになるのかもしれません。