「高度経済成長」と「バブル景気」の違いとは?わかりやすく解説

違いのギモン

「高度経済成長」と「バブル景気」という言葉を聞いたことがありますか。どちらも20世紀後半に日本に訪れた、特徴的な経済状態を指します。

恐らく、「単にどちらも景気が良かった時期」と思っている人も多いでしょう。しかし、両者はその性質・時代背景に大きく異なる点があります。

どちらも現在の日本社会に繋がる重要な時期なので、しっかり理解しましょう。今回は、「高度経済成長」と「バブル景気」を解説します。

結論:急速な経済成長期と、投資による土地・不動産の高騰期

「高度経済成長」とは、日本が驚異的な経済成長を遂げた時期のことです。

一方、「バブル景気」とは土地や株式に対する投資が盛んになり、実体以上に値段が高騰した時期のことです。

「高度経済成長」は1955年頃から約20年、「バブル景気」は。1985年頃から約5年続きました。

戦後の日本経済の流れ

「高度経済成長」と「バブル景気」の解説に入る前に、戦後の日本経済の推移を簡単に紹介します。戦後の日本経済は、以下のような5つの時期に分けることができます。

  • 戦後復興期(1945~1954)
  • 高度経済成長期(1955~1973)
  • 安定成長期(1974~1984)
  • バブル景気(1985~1990)
  • バブル崩壊後(1991以降)

「高度経済成長期」の終わりと「バブル景気」の始まりには、12年間の「安定成長期」が挟まっています。ちなみに、「バブル景気」の1985年から1990年を「安定成長期」に含める場合もあります。

「高度経済成長」をもっと詳しく


「高度経済成長期」とは、1955年頃から1973年頃までの日本が急速な経済成長を遂げた時期のことです。1960年代には、実質経済成長率の年平均が10%を超えていました。

好景気により国民の所得が上がった上、基本的なインフラ整備が進んだので、日本の生活水準は高まりました。また、事業拡大による労働力需要が高まり、失業率が低下しました。

 

連続した好景気の背景には、いくつかの事情があります。1つは、経済が良い循環をしたことです。

人々の所得が増えると、消費金額・貯蓄金額の両方が増加します。消費したお金は企業の儲けや国の税収に繋がり、貯蓄したお金は、銀行経由で企業に融資されます。すると、企業は収入・銀行からの融資の両面で、活発に新規投資を行うことができるようになります。

 

また、好景気のもう1つの背景は、1ドル当たり360円の固定相場制であったことです。この360円という金額は、戦後にアメリカが資本主義の成功例を生み出すために、相当な相場よりも円安に設定したと言われています。

さらに、360円という一律の基準で日本は徐々に経済発展をしていきます。つまり、実質的に円の価値はもっと高いにも関わらず、円安での取引が続いていました。

円安になると、輸出した製品が海外において安く売ることができるため、輸出が有利になります。つまり、日本は輸出産業が国際的に強い状態にありました。

 

一方、高度経済成長による弊害もありました。

まず、都市部に人口が集中した結果、都市部と地方の人口格差が広がりました。その結果、都市部において交通渋滞やごみ問題などが発生しました。

また、現在の様に企業の社会貢献が求められることはなく、企業がそれぞれ利潤を追求していました。その結果、公害問題が発生しました。代表的な公害問題としては、次の4つがあります。

  • 新潟水俣病(新潟県)
  • イタイイタイ病(富山県)
  • 四日市ぜんそく(三重県)
  • 水俣病(熊本県、鹿児島県)

これら4つは、合わせて「四大公害病」と呼ばれます。

 

また、「高度経済成長」が終わった要因としては、大きく2つあります。1つは、1ドル360円という固定相場が崩れたことです。

1971年のスミソニアン協定により、円相場は1ドル308円に大幅に引き上げられました。また、1973年には、現在と同様の変動相場制が導入されました。これにより、日本の輸出における優位はなくなりました。

もう1つは、1973年の第1次石油ショックです。第四次中東戦争がきっかけとなり、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)がイスラエル側の国に対し、石油の輸出量を制限し、価格を上げました。日本はイスラエルを支援する立場であったため、この影響を受け、原油価格は4倍にまで上昇しました。

「高度経済成長」を時期ごとに解説

「高度経済成長」は、次の4つに大別することができます。

    • 神武景気(1954~1957)
    • 岩戸景気 (1958~1961)
    • オリンピック景気(1962~1964)
    • いざなぎ景気(1965~1970)

「神武景気」

➀の神武景気は、日本の初代天皇とされている神武天皇の名前からとっています。神武天皇の時代以降で最高の景気、という意味です。1955年には、実質国民総生産(GNP)(※1)が戦前を超えました。

そんな中、1956年度の『経済白書(※2)』の序文では、「もはや戦後ではない」と記述されました。ここからも日本の好景気と先行きの明るさが分かります。

また、1958年は東京タワーが完成しました。高さ333mの電波塔は、戦後の終わりを象徴するような存在でした。

「岩戸景気」

➁の岩戸景気の名前は、「天岩戸(あまのいわと)」に由来しています。「天岩戸」は、日本神話において登場した洞窟です。天皇の祖先であり、神である天照大神(あまてらすおおかみ)が隠れたとされています。

岩戸景気は、神武天皇の時代以降で最高の景気とされた神武景気を超える好景気であったために、神武天皇以前にあったとされる「天岩戸」から名前がとられました。

この時代に大きなポイントとなったのが、1960年に池田隼人首相が打ち出した「国民所得倍増計画」です。計画の実現のために、貿易の促進や科学技術の発展、産業構造の高度化(※3)が進められました。そして、実質経済成長率の年平均が10%を超える、というすさまじい成長を実現しました。

会社員の給料も大きく上がり、人々の消費も向上しました。特に、1960年代には、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3つが三種の神器と呼ばれ、庶民の憧れの対象となりました。

「オリンピック景気」

➂のオリンピック景気は、1964年の東京オリンピックから名前をとったものです。

1964年10月1日には、東海道新幹線が開業し、東京-大阪間を4時間で結びました。また、10月10日から始まった東京オリンピックをカラーで見たいと、カラーテレビの需要が急速に高まりました。

「いざなぎ景気」

➃のいざなぎ景気の特徴は、5年に及ぶ長期間の好景気であったことです。神武景気・岩戸景気をさらに上回る好景気として、日本神話で日本の国土をつくったとされている伊奘諾尊(いざなぎのみこと)の名前から付けられました。

いざなぎ景気の結果、1968年には、日本の国民総生産がアメリカに次いで世界第二位になりました。

  • 実質国民総生産(GNP)(※1): “gross national product” の略。国の生産力を表す。
  • 経済白書(※2):日本経済についての1年間の報告書。 2001年には『経済財政白書』に改名。
  • 産業構造の高度化(※3):1次産業の割合が減り、2次産業、3次産業の割合が増えること。

「バブル景気」をもっと詳しく

「バブル景気」とは、1985年から1990年にかけて、土地や株式に対する投資が活発に行われ、実体以上に値段が高騰した景気のことです。人々が投資をするたびに土地や株式の値段がどんどん膨らんでくことから、泡(バブル)に例えられています。

「バブル景気」のきっかけは、1985年のプラザ合意でした。ここで、日本は円高ドル安にする旨の同意をしました。

その結果1ドルの値段は1日で235円から215円になりました。1年後には、1ドルは150円程度にまで下落していました。この大幅な円高により、輸出事業がそれ以前よりも不利になりました。

 

ここで円高不況を避けるために、中央銀行はその他の銀行に対する金利を5%から2.5%へと大幅に引き下げました。すると、銀行は企業に対して今までよりも低い金額で融資できるようになります。すると、企業は活発にお金を借り、投資をするようになりました。

投資の主な対象となったのは、土地です。この背景には、「土地神話」という考え方があります。「土地神話」とは、「土地は時間が経てば必ず値上がりする」という考え方です。

もちろん経済学的な裏づけはありませんが、戦後日本の都市部の不動産価値は「高度経済成長」の後押しもあり、上昇し続けていました。

 

土地が投資の対象となると、土地の値段は上がります。すると、元々1000万円の価値だった土地でも、1500万、2000万で売買されるようになります。すると、銀行からお金が借りやすい状況であったために、さらに融資を受け、投資をすることになります。

さらに、同じような構図で、株式にも盛んに投資されました。いつしか、土地や株式は本来的な価値とはかけ離れた高額な値段で売買されるようになりました。

 

バブル崩壊のきっかけは、1990年に中央銀行の金利が6%に引き上げられたことです。すると、はじめは株式の価格が下がり、その後土地の値段も下がりました。

土地保有者は儲けを最大にするため、一斉に売却します。すると、もともと土地や株式に実際の価値が伴っていないため、一度値段が下がり始めると、一気に急落します。このことをバブル崩壊といいます。

 

結果として苦しんだのは、銀行です。「土地神話」が信じられていたバブル景気の時期に、銀行は土地の値段上昇を想定し、担保とする土地の価値以上のお金を融資しました。

しかし、バブル崩壊後、債務者が借金の支払いができなくなった時、貸したお金の保険であったはずの土地の価値が著しく下落していました。それにより、銀行は債務を十分に回収できない「不良債権」を大量に抱えることとなりました。

その影響で、1995年の兵庫銀行に続き、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行などの大手金融機関が倒産しました。

まとめ

以上、この記事では、「高度経済成長」と「バブル景気」の違いについて解説しました。

  • 高度経済成長:日本が驚異的な経済成長を遂げた時期
  • バブル景気:盛んな投資により、土地や株式の値段が高騰した時期

現在の日本は、「高度経済成長」によって築かれた経済大国としての地位と、「バブル景気」による景気低迷を背景としています。両者の概要や違いを知ることは、現在の日本を知ることにも繋がるでしょう。

また、「歴史は繰り返される」という言葉があります。今後「バブル景気」と同じようなことも起きる可能性があるので、しっかりと学んでおきましょう。