ことわざ「縁なき衆生は度し難し」の意味と使い方:例文付き

言葉

今回ご紹介する言葉は、ことわざの「縁(えん)なき衆生(しゅじょう)は度(ど)し難(がた)し」です。

言葉の意味・使い方・由来・類義語・英語訳についてわかりやすく解説します。

「縁なき衆生は度し難し」の意味をスッキリ理解!

縁(えん)なき衆生(しゅじょう)は度(ど)し難(がた)し:人の忠告を聞かない者は救いようがないということのたとえ

「縁なき衆生は度し難し」の意味を詳しく

「縁」は、仏教徒のつながりを表します。「衆生」は、全ての生き物のことを表します。「度す」は、仏が悟りの境地に導くという意味です。

つまり、これを現代語訳すると、「すべての生物に慈悲深い仏であっても、仏の教えを聞く機会がない者、信じようとしない者は救うことができない」となります。

これが転じて、「人の忠告を聞かない者は救いようがない」ということのたとえになりました。

「縁なき衆生は度し難し」の使い方

  1. 彼は自分の意見を全く変えたくない性格だから、縁なき衆生は度し難しだよ。
  2. 縁なき衆生は度し難しといったところか、彼女の強情さに説得することを諦めてしまった。
  3. 縁なき衆生は度し難しであるから、人の意見にはしっかりと耳を傾け、考慮すべきだ。
①と②の例文では、多様な意見を取り入れようとしない態度では、現状を改善することはできないということを述べています。

③の例文では、人の助言を取り入れれば、よりよくなれる余地があることを述べています。

「縁なき衆生は度し難し」の由来

「縁なき衆生は度し難し」は、1743年に書かれた浮世草子の『諸芸袖日記(しょげいそでにっき)』に由来しています。

浮世草子とは、江戸時代の関西地方で盛んになった、町人階級の世の中のありさまや人情を書いた小説のことです。

「縁なき衆生は度し難し」の考え方は、法華経(ほけきょう)の方便品(ほうべんほん)の中に見つけることができます。方便品とは、法華経二十八章の第二にあたる経文のことです。

ここでは、「仏の知恵はとても理解が難しいので、たくさん努力をしないと悟ることはできない。したがって、仏を信じて精進しよう」という内容が述べられています。

「縁なき衆生は度し難し」の類義語

「縁なき衆生は度し難し」には以下のような類義語があります。

  • 犬に論語:道理の通じない者には、何を言ってもむだであるということのたとえ
  • 馬の耳に念仏:いくら意見をしても全く効き目のないことのたとえ
  • 牛に経文(きょうもん):いくら言い聞かせてみても、何の効果もないことのたとえ
  • 蛙の面(つら)に水:どんな目にあわされてもいっこうに気にせず、平気でいることのたとえ
  • どこ吹く風:自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること

「縁なき衆生は度し難し」の英語訳

「縁なき衆生は度し難し」を英語に訳すと、次のような表現になります。

  • Even Buddha cannot redeem those who do not believe in him.
    (信仰心のない者は、たとえブッダであっても救うことはできない。)
  • We cannot help obstinate people.
    (強情な人を救うことはできない。)
  • We cannot help those who will not listen to our advice.
    (助言に耳を傾けない者を救うことはできない。)

まとめ

以上、この記事では「縁なき衆生は度し難し」について解説しました。

読み方縁(えん)なき衆生(しゅじょう)は度(ど)し難(がた)し
意味人の忠告を聞かない者は救いようがないことのたとえ
由来江戸時代の浮世草子『諸芸袖日記』
類義語犬に論語、馬に念仏、牛に経文など
英語訳Even Buddha cannot redeem those who do not believe in him.(信仰心のない者は、たとえブッダであっても救うことはできない。)

私達は日々周囲の人から影響を受け、助けられながら成長しています。

自分の意見だけが正しいと決めつけないように、気をつけたいですね。