今回ご紹介する言葉は、故事成語の「義を見てせざるは勇無きなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり)」です。
言葉の意味・例文・由来・英語訳について、わかりやすく解説します。
☆「義を見てせざるは勇無きなり」をざっくり言うと……
読み方 | 義を見てせざるは勇無きなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり) |
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意味 | 人としてするべきことだと分かっているのにしないのは、勇気がないことである |
由来 | 『論語』で孔子が「見義不爲、無勇也」と言ったことから |
英語訳 | It is coward not to do at the time to do right. |
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「義を見てせざるは勇無きなり」の意味
「義を見てせざるは勇無きなり」の意味を詳しく
「義を見てせざるは勇無きなり」とは、人として行動するべきだという場面に出くわしたときに、自分の利益などを考えて行動を起こさないのは、勇気があるとは言えないという意味の故事成語です。
無謀な相手に勝算もなく向かうことは「匹夫の勇」と言われ、本当の勇気とは言えません。
例えば、道端で倒れている人を見かけたとします。医療の知識がない人が、治療をしようとするのは無謀であり、「匹夫の勇」です。
だからと言って、仕事に遅刻するからと、知らぬふりをして通り過ぎるのは人として正しいとは言えません。
救急車を呼んだり、周りに声をかけて医者や看護師など、知識のある人に助けを求めるのが、ここで言う正しい勇気です。
対義語は「触らぬ神に祟りなし」です。
「義を見てせざるは勇無きなり」の例文
「義を見てせざるは勇無きなり」は、文章中ではこのように使われます。
- 私はいじめを見て見ぬ振りはしない。義を見てせざるは勇無きなりだ。
- 義を見てせざるは勇無きなりと言うから、勇気を振り絞り困っている人に声をかけた。
「勇気を出して」と元気づける時や、「それは卑怯だ」と注意するときなどに使われることが多いようです。
「義を見てせざるは勇無きなり」の由来
『論語』の一節が由来になっています。『論語』は、孔子が言った教えを、その弟子たちが本にまとめたものです。
非其鬼而祭之、諂也、見義不爲、無勇也。
この文章を現代語訳すると、下のようになります。
「自分の先祖でもない人を祭るのは、こびを売ることだ。正義を行うべき時に行動しないのは臆病者だ。」
ちなみに、孔子の教えである儒教には「五常」という、筋道の通った正しい行いとされるものが五つあります。「義」はそのうちのひとつです。他には「仁」「礼」「智」「信」があります。
「義を見てせざるは勇無きなり」の英語訳
「義を見てせざるは勇無きなり」は英語では以下のように表されます。
- It is coward not to do at the time to do right.
(するべき時に正しいことをしないのは臆病者だ)
まとめ
以上、この記事では「義を見てせざるは勇無きなり」について解説しました。
読み方 | 義を見てせざるは勇無きなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり) |
---|---|
意味 | 人としてするべきことだと分かっているのにしないのは、勇気がないことである |
由来 | 『論語』で孔子が「見義不爲、無勇也」と言ったことから |
英語訳 | It is coward not to do at the time to do right. |
この故事成語は、かなり有名なので、様々な場面で使わています。意味をしっかり覚えて正しく使っていきましょう。