皆さんは「市民革命」と「産業革命」を知っていますか。どちらも世界史の最重要語句であり、現代社会に通じる歴史の大きな転換点です。
しかし、「革命」という字から、社会が大きく変化したということは想像できても、社会の何がどのように変化したのか、よく分かっていない人も多いのではないでしょうか。
今回は、歴史的大変革である、「市民革命」と「産業革命」の違いを解説します。
結論:「市民革命」で市民主体の社会へ、「産業革命」は機械による生産へ
一方、「産業革命」とは生産に機械を導入することによる効率化と、それに伴う社会の変革のことです。
「革命」の基礎知識
革命とは、物事の急激な変化のことです。また、今まで支配されていた人々が、支配者を倒すことにより、社会を大きく変えるという意味もあります。
英語では “revolution” です。 “revolution” の動詞形である “revolve” には、「回転する、展開する」という意味があります。
よって、革命とは「物事が新たな形へと展開すること、支配・非支配の構図が回転すること、今まで支配されていた人の立場を大きく回転させ、変えること」であるといえます。
「市民革命」をもっと詳しく
「市民革命」とは、支配的な社会や絶対王政から、市民が中心となる社会への歴史的変革のことです。ブルジョワジーと呼ばれる市民の資産家が中心となって行われるため、ブルジョワ革命ともいいます。
代表的な「市民革命」としては、イギリスの清教徒革命 (1642-1649)・名誉革命(1688)と、アメリカの独立革命(1776)、フランス革命(1789)があり、これらは三大市民革命と呼ばれます。また、ドイツの三月革命(1843)も「市民革命」に当たります。
「市民革命」後の社会では、市民が主体となる自由な政治へと繋がっていきました。その背景には、国家権力を制限するための近代的立憲主義の存在があります。
そもそも立憲主義とは、国家権力を憲法によって規制しようとする思想のことです。立憲主義は、古典的立憲主義と近代的立憲主義に大別することができます。
古典的立憲主義は、国家統治をする上での単なるルールのようなものです。思想自体は、古代ギリシアに遡ることができます。一方、近代的立憲主義は、支配者の権限を憲法によって制限し、国民の自由を保護しようとするものです。18世紀後にヨーロッパから広まりました。
つまり、「市民革命」を経て、法によって国民を一方的に支配する側であった権力者が、法によって明確に支配・制限される立場に変化したということができます。
また、「市民革命」を経て、市民が主体的かつ自由に取引できるようになり、資本主義が発達しました。つまり「市民革命」は、一部の人が持つ権力から統治・支配される受け身な存在であった国民を、社会を担う主体へと変化させた変革であるということができます。
イギリスにおける「市民革命」
イギリスは、世界でいち早く「市民革命」を成し遂げました。そのため、中世のイギリスから「清教徒革命」「名誉革命」へと至る経緯をまとめます。
そもそも、中世のイギリスでは、王権神授説(おうけんしんじゅせつ)という思想がありました。王権神授説とは、国王の地位が神によって与えられたものであるために、神聖かつ絶対的なものであるとするものです。
国王のチャールズ一世は当時の議会と対立しており、議会の決定にも従いませんでした。その結果、議会派の軍と国王軍の内戦が勃発し、議会派の軍が勝利しました。そして、裁判で国王に死刑判決が出て、国王は処刑されました。
この時の議会派のメンバーの多数派が清教徒(徹底的な宗教改革を目指すプロテスタント、別名ピューリタン)であったため、「清教徒革命」「ピューリタン革命」(1642~49)と呼ばれています。この時の指導者はクロムウェルという人でした。
その後、イギリスは特定の一人を支配者とする「君主制」から、国民が選出した代表者が統治する「共和制」に移行しました。
しかし、その後クロムウェルが独裁的な政治を行いました。その反発として、彼の死後、1660年にイギリスは王制にもどりました。
その王制に対して1688年から1689年にかけて行われた革命が「名誉革命」です。当時国王であったジェームズ2世に代わり、ウィリアム3世とメアリー2世が王位につきました。この革命は、血を一滴も流さずになされたために、「名誉」ある「革命」であるとされています。
以上の「清教徒革命」と「名誉革命」を合わせて、「イギリス革命」と呼ばれています。
1689年には、ウィリアム3世とメアリー2世が「臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」、通称「権利章典」を承認しました。これは、以降のイギリスにおける立憲主義の先駆けとなりました。
「産業革命」をもっと詳しく
「産業革命」とは、手作業による生産から機械による工業制生産への変革と、それにともなう社会・経済上の変化のことです。18世紀後半にイギリスではじまりました。
イギリスから始まり、ベルギー、フランス、アメリカ、ドイツへと世界中に広まっていきました。ロシアや日本に広まったのは、イギリスの「産業革命」から約100年後でした。
「産業革命」の前提には、機械の発明がありました。代表的なものとしては、次のものが挙げられます。
- 飛び梭(とびひ):ジョン=ケイが発明。杼(ひ)とは、布を織る時、縦糸に横糸を通すための器具のことで、これにより織物の効率が格段にあがった。
- コークス製鉄法:ダービー父子が発明。石炭を蒸し焼きにしてつくったコークスを燃焼させ、鉄鉱石を溶かす方法。
- 紡績機(ぼうせきき):ハーグリーブズやアークライトが発明。糸をつむぐ機械。効率が格段にあがった。
- 蒸気機関:ワットが改良。蒸気の圧力を利用し、機械を動かす。
- ミュール紡績機:クロンプトンが、それ以前の紡績機をさらに改良したもの。
- 力織機(りきしょっき):カートライトが発明。蒸気機関を利用した織機。
「産業革命」は、綿織物の生産から始まりました。上記のような新発明により、糸を紡ぐ作業(紡績)と糸で布を織る作業の両方が効率化され、大量に製品が生産されました。
ワットが改良した蒸気機関の技術は、1807年の蒸気船や1814年の蒸気機関車へと応用されていきます。これらの発明により、輸送コスト・輸送時間を大幅に削減することができました。
「産業革命」が、イギリスにおいて初めて実現された背景には、次のようなことが挙げられます。
- 植民地と奴隷制による資本の蓄積
- 「市民革命」による、自由な経済取引の実現
- 作った製品を売るための独占的な植民地市場の存在
- 鉄や石炭、綿花といった資源の豊富さ
- 囲い込み運動(エンクロージャー)によって、土地を失った元農民の労働力が余っていた
➄の囲い込み運動とは、羊毛の需要が高まったことにより、領主や地主が農地を囲い込み、牧場に変えた出来事です。そこで働いていた小作農は、働く場所を失いました。
彼らは、「産業革命」を経て、工場を担う労働者となりました。しかし、労働者の賃金は非常に安く、労働環境は劣悪でした。金銭的な理由から多くの子供も工場で働かざるを得ない状況におかれました。1847年には、イギリスの綿工場の労働者のうち、7割が女性と18歳以下の子供であったとされています。
また、「産業革命」がきっかけとなり、資本主義が急速に進行しました。その結果、都市部への極端な人口集中や、資本化・労働者の格差といった問題が発生しました。これらの課題は、現代の日本社会にも引き継がれています。
「産業革命」を経た18世紀のイギリスは、世界中から材料を買い集め、世界中へ輸出するようになりました。その時、世界中の工業生産額の50%を占めていたことから、「世界の工場」と呼ばれました。
近代以降の「産業革命」
産業革命は厳密には18世紀後半のイギリスではじまった機械化・効率化の変革のことをいいます。しかし、それ以降の3つの時期についても産業革命と呼ぶことがあります。具体的には、以下の通りです。
- 第一次産業革命:18世紀後半に機械による工業制生産の移行と、それにともなう社会変化
- 第二次産業革命:19世紀後半の電力・石油エネルギーによる大量生産化と重化学工業の発達
- 第三次産業革命:20世紀後半に起こったコンピューター技術の発達と機械の自動化
- 第四次産業革命:今後のAI技術の発達と、機械の自律化
第二次産業革命では、製鉄業・造船業などの重工業の開発・利用が拡大しました。これらの技術は、20世紀前半の第一次・第二次世界大戦へと応用されていきます。
第三次産業革命は、コンピューターの発達やインターネット技術の拡大、原子力エネルギーの活用などが当たります。現在のパソコンやスマホが当たり前のモノとして定着した背景には、これがあります。
第四次産業革命は、現在、あるいは今後発達が期待されているAI技術や「IoT」技術に関する変革です。「IoT」とは、 “Internet of Things” の略で、「モノのインターネット」と訳すことができます。
全てのモノにインターネットが接続され、あらゆるものの膨大なデータが収集・活用がされるようになると考えられています。
第一次産業革命は技術的に第二次産業革命の土台となっています。その後の第三次産業革命、第四次産業革命も、それ以前の技術を基礎としています。
まとめ
以上、この記事では、「市民革命」と「産業革命」の違いについて解説しました。
- 市民革命:支配的な君主制から、市民主体の社会への変革
- 産業革命:生産過程に機械を導入することによる効率化と、それに伴う社会の変革
人類の歴史は、「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」という大きなくくりで大別されることがあります。この中の、「近世」と「近代」の境界線は、今回解説した「市民革命」「産業革命」であることが多いです。
つまり、「市民革命」と「産業革命」は、人類史における非常に重要な転換点であり、「現代」の基礎をつくるきっかけとなった出来事であるといえます。しっかりと覚えておきましょう。