今回ご紹介する言葉は、四字熟語の「自己憐憫(じこれんびん)」です。
言葉の意味・使い方・由来・類義語についてわかりやすく解説します。
☆「自己憐憫」をざっくり言うと……
読み方 | 自己憐憫(じこれんびん) |
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意味 | 自分で自分をかわいそうだと思うこと |
由来 | 「隣人の便りがなくて心配だ」という意味の熟語「憐憫」から |
類義語 | 自己否定、自己嫌悪、シンデレラコンプレックスなど |
このページの目次
「自己憐憫」の意味をスッキリ理解!
「自己憐憫」の意味を詳しく
「自己憐憫」とは、自分で自分をかわいそうだと思うことです。
このような意味になっているのは、「自己憐憫」の漢字に以下のような意味があるからです。
- 自己:自分
- 憐:あわれむ
- 憫:あわれむ
自己憐憫の感情は、下記のようなものを指します。
- 「自分はなんて不幸なんだろう」
- 「自分ばっかり悪い目にあっている」
- 「自分は被害者だ」
このような感情が生まれるのには、生育環境などの原因があることがほとんどです。多くの場合、周囲にそれを公言することで周囲との関係が悪化してしまうなど、何らかの悪影響を伴います。
「自己憐憫」の使い方
「自己憐憫」には、以下のような言い回しがあります。
- 自己憐憫である
- 自己憐憫に陥(おちい)る
- 自己憐憫に浸る
- 自己憐憫に溺(おぼ)れる
- 自己憐憫的な〜
- 自己憐憫の心
- 自己憐憫釈度
それでは、それぞれの言い回しについて、例文と一緒に見ていきましょう。
「自己憐憫である」の使い方
「自己憐憫である」とは、「自分をかわいそうだと思う心理である」という意味です。
自分をかわいそうだと感じている人に向けて、他人が言うことがあります。
「自己憐憫に陥る」の使い方
「自己憐憫に陥る」とは、「自分をかわいそうだと思ってしまう状態になること」です。
自己憐憫は悪循環につながりやすい状態であるため、「陥る」という表現を使います。
「自己憐憫に浸る」の使い方
「自己憐憫に浸る」とは、「自分をかわいそうだと思ってしまう状態に染まっている」という意味です。
「浸る」と言うと、「自己憐憫を自ら望んでしている」というニュアンスが強くなります。
「自己憐憫に溺れる」の使い方
「自己憐憫に溺れる」とは、「自分をかわいそうだと思ってしまう状態から抜け出せない」という意味です。
「溺れる」を使うと、「自分ではもうどうしようもならない」というニュアンスが強まります。
「自己憐憫的な〜」の使い方
「自己憐憫的な〜」とは、「自分をかわいそうだと思ってしまっている何か」という意味です。
たとえば「自己憐憫的な心」や「自己憐憫的な人」など、名詞を修飾します。
「自己憐憫の心」の使い方
「自己憐憫の心」とは、「自分をかわいそうだと思ってしまう心」という意味です。
「自己憐憫尺度」の使い方
「自己憐憫尺度」とは、「自分をかわいそうだと思ってしまう度合い」という意味です。
最近では心理学の研究分野の1つとして「自己憐憫」が取り上げられるようになりました。そこで使われている自己憐憫の度合いの測り方を「自己憐憫尺度」と呼ぶことがあります。
「自己憐憫」の由来
まずは「憐憫」の由来から説明します。前の項目でも説明した通り、「憐憫」は「あわれむ」という意味の漢字を重ねた言葉です。具体的には、それぞれ以下のような意味があります。
- 憐:隣人が抱く心
- 憫:便りがないこと
その感情を自分に向けている、という意味合いの「自己」がつき、「自己憐憫」という言葉になりました。
「自己憐憫」の類義語
「自己憐憫」には以下のような類義語があります。
- 自己否定:自分を否定してしまうこと
- 自己卑下:自分を認められず、悪く言ってしまうこと
- 自己嫌悪:自分をひどく嫌ってしまうこと
- 悲劇のヒロイン:自分が悲劇の主人公かのように振る舞うこと
- 被害妄想:本当は違うのに、自分が被害者であるかのように感じること
- シンデレラコンプレックス:誰かに幸せにしてもらいたいと強く願い、自分で自分を幸せにできないこと
「自己憐憫」と「自己嫌悪」の違い
「自己憐憫」と「自己嫌悪」には、以下のような違いがあります。
- 自己憐憫:本心では自分のことが好きであることが多い
- 自己嫌悪:本心では自分のことが嫌い
ただ、根底に自己否定感を抱えており、防衛のために自己憐憫に走るケースも多いため、厳密に違うものであるとは言えません。
補足①:自己憐憫にいたる心理状態
自己憐憫に浸る人は、以下のような状態を抱えていることが多いです。
- 自己肯定感が低い
- 親からの愛情を感じずに育った/親から適切に叱られずに育った
- 周りと比べる癖がついてしまった
- トラウマがある
- 人間不信である
- 心身が疲れ果てている
自己肯定感が低い
「自分はここにいていいんだ」「自分は生きていていいんだ」という気持ちが薄く、自分の存在を肯定できていない場合、「自分は特別ではないとここにいてはいけない」という心情になってしまうことがあります。
そのため、自己憐憫などを通じて「自分は特別にかわいそうな人だ」と主張することで、自分の存在が排除されないようにしてしまいます。
親からの愛情を感じずに育った/親から適切に叱られずに育った
親との関わりがうまくいかなかった場合も、自己憐憫に繋がることが多いです。
自己憐憫は「他人に幸せにしてもらいたい」という、自他の区別がついていない願望から発生します。この自他の区別をどれだけつけられるかは、幼少期の親との関わりが大きく影響しています。
親に十分に甘やかされなかった、逆に親に身勝手に甘やかされた、などの経験を持つと、自他の区別がつきにくくなります。そうなると、自分の不幸を他人のせいにし、自分を哀れむことにつながってしまいます。
周りと比べる癖がついてしまった
周囲と比べる癖がついている場合、周囲の幸せと自分の幸せも比べてしまいます。そのため、周囲に幸せな人がいると、相対的に自分が不幸に見えやすくなります。
また、前述の自己肯定感の低さと組み合わさっている場合は、周囲と比べて幸せになれない自分に否定感を感じ、居場所を守ろうとしてさらに自己憐憫につながってしまうことがもあります。
トラウマがある
トラウマとは、何かの要因により生じた大きな心理的ストレスのことです。
一人では対処しきれないほどの大きなストレスがかかるため、フラッシュバックや不眠など、さまざまな身体的なストレスも生じます。
そのことから、自分と向き合ったり現実で頑張る力が削がれてしまい、自己憐憫という形に落ち着いてしまうこともあります。
人間不信である
親との関係性やトラウマなどのさまざまな問題によって、人間不信に陥っている場合もあります。
その場合は他人を「攻撃してくるものだ」と捉えているため、よりいっそう自分を被害者として哀れむ傾向が強くなります。
また、他人の言葉を信じられず、褒め言葉などをうまく受け止められないことも多いです。そのため、自己憐憫の状態が続きやすくなります。
心身が疲れ果てている
純粋に心身が疲れているために、自己憐憫に陥ることもあります。
普段なら気にしないような些細なことも、心身が疲れているときは神経を尖らせてしまいます。そのため被害者意識が強くなり、自分を哀れむような心理状態になります。
補足②:対処法
自己憐憫に陥ってしまったとき、自分でできる対処法には以下のようなものがあります。
- 生活習慣を整える
- 運動をする
- 自分の感情を書き出して見つめる
- 感謝の言葉や、プラスの言葉を実際に口に出してみる
- 周囲は敵ではないと考える
- 小さな問題を一つ自力で解決してみる
- ありのままの自分を受け入れる言葉を実際に口に出してみる
ポイントは、体を先に動かすことです。気持ちや考え方を突然変えることは難しいですが、実際にプラスの言葉を口に出してみたり、気持ちを書き出して整理してみたりすると、つられて考え方も変わっていくことも少なくありません。
また、周囲の人ができる良い接し方としては、以下のようなものがあります。
- 相手の話にただ耳を傾ける
- 共通の趣味などで一緒に盛り上がる
- 相手を褒める
- 相手がしてくれたことに感謝をする
- SNSでの病み投稿などはそっとしておく
ただ、SNSでの病み投稿などにまで気を配っていると周囲も疲れてしまいます。無理のない範囲で、上手な接し方をしましょう。
まとめ
以上、この記事では「自己憐憫」について解説しました。
読み方 | 自己憐憫(じこれんびん) |
---|---|
意味 | 自分で自分をかわいそうだと思うこと |
由来 | 「隣人の便りがなくて心配だ」という意味の熟語「憐憫」から |
類義語 | 自己否定、自己嫌悪、シンデレラコンプレックスなど |
自己憐憫は辛い悪循環を引き起こしがちです。少しでも気持ちが楽になるよう、ゆっくり無理なく状況改善に取り組みましょう。