今回ご紹介する言葉は、ことわざの「猫も杓子も(ねこもしゃくしも)」です。
言葉の意味・使い方・由来・類義語・英語訳についてわかりやすく解説します。
☆「猫も杓子も」をざっくり言うと……
読み方 | 猫も杓子も(ねこもしゃくしも) |
---|---|
意味 | 誰も彼も、何でもかんでも |
由来 | 諸説あり、はっきりしていない |
類義語 | 右を見ても左を見ても、老若男女など |
英語訳 | everybody(全員が)など |
このページの目次
「猫も杓子も」の意味をスッキリ理解!
「猫も杓子も」の意味を詳しく
「猫も杓子も」とは、誰も彼も、何でもかんでもという意味です。
「杓子」とは、いわゆる「しゃもじ」のことです。読み方は「しゃくし」なので、しゃもじと読んでしまわないように気をつけましょう。
プラスの意味でもマイナスの意味でも使えることわざです。
「猫も杓子も」の使い方
- 電車の中では、猫も杓子もスマホをいじっているなぁ。
- 緊急地震速報が鳴って、それこそ猫も杓子も机の下に隠れた。
- 超大物芸能人が街を歩いているところを一目見ようと、猫も杓子も殺到している。
①は、現状の電車内の光景を嘆いている文です。電車の中では誰も彼もがスマートフォンを使っている、という意味です。
②はポジティブな意味で「猫も杓子も」を使っています。緊急地震速報が鳴ったことで、全員が机の下に隠れた、という文章です。
③は少しだけ①②とはニュアンスが違い、「我先に」というような意味合いが含まれています。超大物芸能人が街を歩いており、その珍しさから人々が皆我先にと殺到している、という意味の文です。
このように、「猫も杓子も」は、一緒に使う言葉によってニュアンスが異なってきます。
「猫も杓子も」の由来
「猫も杓子も」の由来は諸説あり、どれが真相なのかはいまだにはっきりしていません。代表的な6つをご紹介します。
一休咄説
『一休咄』の中に「生まれては死ぬるなりけりおしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も」という一説があります。そこから「猫も杓子も」だけで使われるようになった、という説です。
この一説は「釈迦も達磨も、猫や杓子まで、誰しもが生を受けて死んでいく」という意味で、そこから「猫も杓子も」が「誰も彼も」という意味になったと言われています。
禰宜も釈氏も(ねぎもしゃくしも)説
禰宜(ねぎ)とは神主のこと、釈氏(しゃくし)とはお釈迦様のことです。当時は神道と仏教が二代宗教であったため、「神に仕える者も仏に仕えるものも」が「誰も彼も」という意味になったと言われています。
これは滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』(1814)に出てきたフレーズです。なお、「禰子(ねこ)」とは神主の子孫のことなので、「禰子も釈氏も」(ねこもしゃくしも)が使われていたという説もあります。
女子も弱子も(めこもじゃくしも)説
女子(めこ)は女、弱子(じゃくし)は子供のことであるため、ここから「誰も彼も」を表すようになったという説です。これは落語の「横丁の隠居」で出てくるフレーズです。
猫と主婦説
日常的にありふれているもの、という意味で、「猫」と「主婦」がくっついた、という説もあります。主婦はかつて「シャクシトリ」と呼ばれており、その「トリ」が取れた、と言われています。
寝子も赤子も(ねこもせきしも)説
寝子(ねこ)は寝る子のこと、赤子(せきし)は赤ん坊のことです。
寝子も釈氏も(ねこもしゃくしも)説
この場合の寝子(ねこ)は売春婦のこと、釈氏(しゃくし)は講釈師のことです。売春婦から講釈師という幅広い職種の人が皆、というところから、「誰も彼も」を表すようになったと言われています。
「猫も杓子も」の類義語
猫も杓子もには以下のような類義語があります。
- 右を見ても左を見ても:左右どちらを見ても同じ光景が見えるほど、全員が同じことをしている様子
- 老若男女:お年寄りも若い人も男も女も、全員
- 一様に:全てが同じように
- 雲霞(うんか)の如くに:大勢の人が群がること
「猫も杓子も」の英語訳
猫も杓子もを英語に訳すと、次のような表現になります。
- everybody
(全員が) - every Tom, Dick and Harry
(みんなが)
“Tom, Dick, Harry” は、それぞれ英語圏によくいる名前です。「たくさんいるTomやDick、Harryがみんな」という形で「みんなが」というニュアンスを表しています。ウィットに富んだ表現です。
まとめ
以上、この記事では「猫も杓子も」について解説しました。
読み方 | 猫も杓子も(ねこもしゃくしも) |
---|---|
意味 | 誰も彼も、何でもかんでも |
由来 | 諸説あり、はっきりしていない |
類義語 | 右を見ても左を見ても、老若男女など |
英語訳 | everybody(全員が)など |
さまざまな由来がある不思議な言葉であるため、非常に勉強になることわざです。