今回ご紹介する言葉は、ことわざの「多芸は無芸(たげいはむげい)」です。
言葉の意味・使い方・類義語・英語訳についてわかりやすく解説します。
☆「多芸は無芸」をざっくり言うと……
読み方 | 多芸は無芸(たげいはむげい) |
---|---|
意味 | 多くの特技を持つものは、なにも特技がない人と同じであるということ |
類義語 | 器用貧乏人宝、何でも来いに名人なし、百芸は一芸の精しきに如かずなど |
英語訳 | Jack of all trades is master of none.(なんでもやれるが、習得した芸は1つもない) |
「多芸は無芸」の意味をスッキリ理解!
「多芸は無芸」の意味を詳しく
「多芸は無芸」とは、多くの特技を持っている人は、かえって誰よりも優れているという特技がないために、何も特技がない人と同じであるという意味です。
特定のものを極めず、多くの特技を持つ人は、身につけている知識や技能がどれも中途半端であることから、なにも特技がない人と変わらないという考え方です。「広く浅く」と表現されるように、多くのことに通じる人はおしなべて特に秀でていることがないということには一理あります。
たくさんのことに興味を持つこと自体にはマイナスのイメージはありません。ですが、無難にこなせる事柄が大量にあっても、最終的に1つの突出した才能がなければなにもできないのと同じだという評価になってしまう可能性があります。
反対に、なにか1つのものをとことん究めた人は、それが武器として社会から評価される時が来るでしょう。
「多芸は無芸」の使い方
- 私はたくさんの習い事を経験したが、多芸は無芸でどれもぱっとしなかった。
- 次々と新しいことに挑戦してもすぐに辞めるのなら、多芸は無芸になってしまうよ。
①の例文では、謙遜を含めて「多芸は無芸」だと表現しています。様々な経験が最終的にどれも花開くことがなかったということを示す文章です。
②の例文では、あれこれとさまざまなことに手を出して、結局はなにも身につかないような相手を諌めています。
どちらの例文にも中途半端であるというニュアンスが含まれているように、一般的にポジティブな意味では使用されません。
「多芸は無芸」の類義語
多芸は無芸には以下のような類義語があります。
- 器用貧乏人宝(きようびんぼうひとだから):器用であるためにかえって1つのことに集中できないこと
- 何でも来いに名人なし:器用な人はなんでも高水準でこなせるが、名人と言えるほどのものはないということ
- 百芸は一芸の精しきに如かず:なんでもこなせる人より、1つの物事に詳しい人の方が役に立つということ
- 螻蛄才:多くの才能があるが、どれも中途半端であること
- 多弁能なし:たくさん喋る人は能力が低いということ
- 石臼芸:どんな芸事もやるが、荒っぽく優れたものがないこと
多芸は無芸の類義語はたくさんありますが、一方で対義語はありません。表現上では、中途半端な才能は嫌われる傾向にあるようです。
「多芸は無芸」の英語訳
多芸は無芸を英語に訳すと、次のような表現になります。
- Jack of all trades is master of none.
(なんでもやれるが、習得した芸は1つもない)
上の文は、英語での慣用句になっています。単語を変えずにそのまま使用しましょう。
“is”の部分を”and”にして”Jack of all trades and master of none”と表記した場合は「器用貧乏な人」を表します。省略して”jack of all trades”と書くこともできます。
まとめ
以上、この記事では「多芸は無芸」について解説しました。
読み方 | 多芸は無芸(たげいはむげい) |
---|---|
意味 | 多くの特技を持つものは、なにも特技がない人と同じであるということ |
類義語 | 器用貧乏人宝、何でも来いに名人なし、百芸は一芸の精しきに如かずなど |
英語訳 | Jack of all trades is master of none.(なんでもやれるが、習得した芸は1つもない) |
どんなことでもそつなくこなせる人よりも、1つに集中して極めた人の方が重宝されるということがあります。私たちも、なにか1つ誰にも負けない特技を持つことができるとよいですね。