今回ご紹介する言葉は、故事成語の「天道是か非か(てんどうぜかひか)」です。
「天道是か非か」の意味、例文、由来、類義語、英語訳についてわかりやすく解説します。
☆「天道是か非か」をざっくり言うと……
読み方 | 天道是か非か(てんどうぜかひか) |
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意味 | 天は善人には福をもたらし、悪人には災いをもたらすというが、善人が苦しんでいるという現実を見ると、天が本当に正しいのか疑問であるということ |
由来 | 『史記』にある司馬遷の言葉から |
類義語 | 天道寧論、首陽の薇、采薇の歌 |
英語訳 | Is there no divine justice in the world? (世界に神の裁きはないのだろうか) |
このページの目次
「天道是か非か」の意味をスッキリ理解!
「天道是か非か」の意味を詳しく
「天道是か非か」とは、天は善人には福をもたらし、悪人には災いをもたらすというが、善人が苦しんでいるという現実を見ると、天が本当に正しいのか疑問であるということです。
不運にあったときのいきどおりの言葉として用いられています。
ちなみに、「天道」とは人間をつかさどる人知を超えた運命のことです。
また、「是か非か」とは正しいのか間違っているのかということです。
「天道是か非か」の例文
- 相手が審判に隠れてルール違反をし、試合に負けてしまった。天道是か非かの気持ちだ。
- 彼の人生を振り替えてみると、天道是か非かという気持ちになる。
- 天道是か非かと嘆いても仕方がない事態なのに、不満を言わない彼は素晴らしいと思う。
「天道是か非か」の由来
「天道是か非か」の出典は『史記(しき)』の「伯夷列伝(はくいれつでん)」という章です。
この章の中に出てくる以下のような文章が由来になっています。
私はこうした現実の世界に対して迷わずにはいられない。
果たして天道というものは正しいものなのか、そうではないのだろうか。
この文章は司馬遷(しばせん)によって書かれたものですが、この文章の背景には彼が受けた体験があります。
司馬遷の友人に李陵(りりょう)という人物がいましたが、彼は匈奴(きょうど)という外敵を相手に果敢に戦いました。
しかし、彼は匈奴の側へ寝返ったと勘違いされてしまいます。
そして、ほとんどの家臣は李陵が寝返ったと思っていましたが、司馬遷だけは友人を信じて李陵の無罪を主張しました。
結局、李陵とともに司馬遷は罰を受けてしまいます。
具体的には、宮刑という去勢されてしまう罰を受けました。
このような非合理な世の中へのうらみが、上記のような文章として現れたと考えられています。
司馬遷は中国前漢時代の歴史家で『史記』の著者です。
太初暦という暦も制定しました。
「天道是か非か」の類義語
「天道是か非か」には以下のような類義語があります。
- 天道寧論(てんどうねいろん)
- 首陽の薇(しゅようのわらび)
- 采薇の歌(さいびのうた)
「天道是か非か」の英語訳
「天道是か非か」を英語に訳すと、次のような表現になります。
- Is there no divine justice in the world?
(世界に神の裁きはないのだろうか)
まとめ
以上、この記事では「天道是か非か」について解説しました。
読み方 | 天道是か非か(てんどうぜかひか) |
---|---|
意味 | 天は善人には福をもたらし、悪人には災いをもたらすというが、善人が苦しんでいるという現実を見ると、天が本当に正しいのか疑問であるということ |
由来 | 『史記』にある司馬遷の言葉から |
類義語 | 天道寧論、首陽の薇、采薇の歌 |
英語訳 | Is there no divine justice in the world? (世界に神の裁きはないのだろうか) |
「天道是か非か」は不平不満を嘆く言葉だったんですね。
日常生活でピッタリな場面があったら、ぜひ使っていきたいものです。