夏の風物詩と言えば、プールやかき氷、風鈴など多くのものが挙げられます。中でも人気が高いのは「花火大会」ではないでしょうか。
そんな花火大会に行くと、よく「たーまやー」「かーぎやー」といった掛け声を聞くことがあります。実はどちらも花火屋の名前なのですが、それぞれの歴史や違いを知っていますか?
今回の記事では、そんな「かぎや」と「たまや」の違いについて解説します。
結論:「かぎや」は本家、「たまや」は、かぎやから独立した分家
「かぎや」は、江戸時代から現代まで続く、日本花火の草分け的な花火屋の名前です。
対して、「たまや」は、江戸時代にかぎやから独立し、約30年間だけ存在した花火屋のことです。
日本への花火の伝来
花火は古くから存在しており、そのもととなる火薬の歴史は、古代中国の時代にまでさかのぼります。日本に火薬がもたらされたのは、1543年に火縄銃の伝来を通してでした。
日本での初めての花火は、江戸時代に外国人の手によって行われました。記録によると、来訪したイギリスの使節が徳川家康らに花火を見せたと言われています。この当時の花火は、現在主流の打ち上げ型ではなく、竹筒から火花が噴き出すものでした。
海外から日本に伝えられた花火は、江戸の社会にどんどん普及していきました。
当時は、着火すると地面を動き回る「ねずみ花火」のような、おもちゃの花火が人気でした。その過度な人気から、花火が火事の原因になることが多く、幕府が禁止令を出すほどでした。
「かぎや」をもっと詳しく
そんな花火人気のなかで、1659年に鍵屋弥兵衛(かぎややへえ)という人物が始めた花火屋が「かぎや」です。
「かぎや」は、葦(あし)の茎に火薬を入れた手持ちの花火を売り出しました。この元からあったものと違う花火は江戸っ子に大ヒットし、ついに「かぎや」は幕府の御用達(ごようたし)の花火屋にまでなったのです。
その後の1733年、現在の隅田川花火大会の由来である「両国川開き」が開催されました。この時6代目であった「かぎや」が花火を担当し、打ち上げ花火や仕掛け型花火で江戸の民衆を楽しませたのです。
ちなみに「かぎや」という名前の由来は、「お稲荷(いなり)さん」から来ています。守護神であるキツネの片方が鍵をくわえていることから、「かぎや」と名付けられたと言われています。漢字では「鍵屋」と書きます。
「たまや」をもっと詳しく
1811年、当時の「かぎや」の使用人のトップであった清七(せいしち)という人が、独立して始めたのが「たまや」でした。
「たまや」の名前は、「かぎや」と同じお稲荷さんから付けられました。もう一方のキツネが玉をくわえていることが由来です。漢字では「玉屋」と書きます。
独立して間もない「たまや」でしたが、すぐにその技が認められ「両国川開き」での花火を担当するようになります。
橋をはさんで、上流が「たまや」、下流が「かぎや」というような分担がなされました。「かぎや」と「たまや」は、代わる代わる花火を打ち上げ、その美しさを競ったのです。
しかし、「たまや」の歴史は長く続きませんでした。開業から約30年後の1843年、当時重罪とされていた火事を起こしてしまい、江戸の町から追放されてしまったのです。そのため、「たまや」という花火屋は現在残っていません。
なぜ未だに「たまや」の掛け声が残っているの?
「たまや」や「かぎや」といった掛け声は現在でもよく聞きますよね。
元々、この掛け声は観客が素晴らしい花火を上げた花火屋を賞賛するために掛けるものです。「かぎや」は、現在でも日本各地の花火大会を手掛けています。
それではなぜ、わずか30年ほどで消えていった「たまや」の掛け声が残っているのでしょうか。それは、「たまや」の花火技術を惜しんだ観客が追放後も「たまや」の掛け声を上げ続けたことで、現在にまで残っているのです。
まとめ
以上、この記事では、「かぎや」と「たまや」の違いについて解説しました。
- かぎや:現在も活躍する、日本花火界の先駆者である花火屋
- たまや:江戸時代に廃業するも、現代にまで名前を残す技を持っていた花火屋
よく聞く掛け声には、二つの花火屋の競争の歴史があったのですね。
その物語を知ったうえで花火を見上げると、また違った味わいで花火大会を楽しめるのではないでしょうか。