日本の文化の中には多種多様な宗教・教えが混在しています。
神棚と仏壇が一緒に置いてあり、そこに先祖の写真を飾ってある家庭も珍しくないでしょう。
皆さんは、「仏教」「神道(しんとう)」「儒教(じゅきょう)」の違いについてご存知でしょうか。
この記事ではそんな、意外と知られていない「仏教」「神道」「儒教」の違いについて解説します。
結論:発祥の地、作った人、その目的までなにもかも違う
「神道」は日本で発祥した信仰であり、全ての自然物に神が宿るという考えを持ちます。また、具体的な教義や開祖などは存在していません。
それに対し、「儒教」というものは、孔子(こうし)を始祖とする思考・信仰の体系のことを指します。
「仏教」についてもっと詳しく
「仏教」の起源
「仏教」は、紀元前450年頃のインドでガウタマ・シッダールタが開いた宗教です。
元々は、修行することによって「悟り」を開くことを目的としていました。
「悟り」を開くことはこの世界の真理を知ることを意味し、この世界の真理を知ると「生老病死(せいろうびょうし)」といった苦しみから解放されます。
この「悟り」を人類の中で最初に開いた存在がガウタマ・シッダールタであり、その「悟り」を開くための教えを本来は「仏教」と呼んでいました。
また、ガウタマ・シッダールタのように「悟り」を開いた存在のことを、当時のインド語で「目覚めた人」という意味を持つ「ブッダ(仏陀)」と呼称します。
「ブッダ(仏陀)」という言葉が「悟り」を開いた人一般を指しているのに対し、「釈迦(しゃか)」という言葉はガウタマ・シッダールタその人を指します。
しかし、「悟り」を開くことはそうそうできることではありません。
ですから、「ブッダ(仏陀)」は、本来は「悟り」を開いたすべての人を指す言葉であるものの、実際はガウタマ・シッダールタを指すことがほとんどです。
また、仏教徒が修行を行う場所のことを寺院と呼びます。
「仏教」のその後
「仏教」とはもともと、「悟り」を開き、苦しみから解放されることを目的とする宗教であることは、既に説明しました。
「悟り」を開くことを目的としているため、仏教はキリスト教やイスラーム教といった他の宗教とは異なり、特別に信仰する「神様」というものは存在していません。
仏教は「神様」のような「外側」に向かっていく性格よりも、「悟り」を開くため修行し、自己と向き合っていく「内面」への指向性を強く持ち、そもそも「神様」が必要ありません。
しかし、このような仏教の性格は時代が下っていくうちに、次第に変容していきます。
「悟り」を開くことを目的としていた仏教でしたが、その目的を達成することは至難の技です。
「悟り」を開くことのただならぬ難しさゆえに、「悟り」を開くことを達成したガウタマ・シッダールタへの畏怖の念が高まっていき、次第に「神格化」されていきます。
「神格化」とは、もともとは神でもなんでもなかった存在を神や神の領域にいる存在だと解釈し直していくことを意味します。
そして、「神格化」されたガウタマ・シッダールタは、その神性ゆえに、他の宗教の「神様」のように信仰されていくようになります。
本来「仏教」は、「悟り」を開くことを求め、修行していくものでした。つまり、信仰的な性格を持つ宗教ではありませんでした。
しかし、その性格も、ガウタマ・シッダールタが神格化されていくなかで、ガウタマ・シッダールタの神秘的なパワーにあやかろうとする信仰的な性格を強くもつ宗教へと変容していきます。
「仏教」はここが大きな分岐点となっています。
本来の仏教のように、修行をし、「悟り」を開くことを目的とした宗派を「上座部仏教」と呼び、それに対し、ブッダ(仏陀)を信仰することで「悟り」を目指していく宗派を「大乗仏教」と呼びます。
「上座部仏教」は東南アジアの一部に現在残っており、「大乗仏教」は日本をはじめとする東アジアに広く分布しています。
そして、「大乗仏教」を作り上げていった人々は、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)以外にも「悟り」を開いた人、つまり「ブッダ(仏陀)」が広い宇宙には存在するのではないかと考えました。
神秘的なパワーにあやかることができる対象が多ければ多いほどそれだけ、「悟り」を開くことが容易になるからです。
そういった考えの影響により、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)以外にも、阿弥陀(あみだ)、薬師(やくし)、大日如来(だいにちにょらい)といった神話的な釈迦を信仰するようになります。
釈迦に加え、釈迦の候補生である菩薩(ぼさつ)として観音(かんのん)、文殊(もんじゅ)、地蔵、弥勒(みろく)なども登場し、さらには不動明王(ふどうみょうおう)・愛染明王(あいぜんみょうおう)といった明王や、ヒンドゥー教の神々まで信仰の対象としていきます。
日本での「仏教」
「仏教」は日本には6世紀前半ごろに「大乗仏教」という形で伝わってきました。
日本に入ってきた「仏教」は、元々日本に存在していた「神道」とうまく混ざり合い、日本の土着の信仰となっていきました。
「神道」についてもっと詳しく
「神道」の起源
「神道」の起源
「神道」とは、日本で発祥した信仰であり、全ての自然物に神が宿るという考えを持ちます。また、具体的な教義や開祖などは存在していません。
「八百万の神(やおとろずのかみ)」という言葉にも表れているように、万物に神が宿るという考えを持っています。
「神道」では、川には川の神がいて、山には山の神がいて、石には石の神がいると捉えるということです。
また、そのような神様と人々を結ぶ場所のことを神社と呼びます。
「神道」は、上記のように教義も開祖も存在していないため、その当初は明確な宗教としての輪郭を持っていませんでした。
日本に住んでいた人々が、生きていくなかで自然に発生していった宗教なので、教義や開祖を持たないのは当然の話です。
日本に生きる人々の心のなかに、その信仰はうっすらと存在していましたが、「私たちは『神道』という宗教を信仰している」という感覚は存在せず、そもそも「神道」という概念自体が明確には存在していませんでした。
「神道」と天皇
「神道」と聞くと天皇の存在を思い浮かべる方も多いかもしれません。
「神道」と天皇の関係については、太安万侶(おおのやすまろ)が8世紀ごろに記したとされる日本最古の歴史書『古事記(こじき)』に記述があります。
『古事記』とは、天地のはじめから推古天皇の時代までのことや日本各地の神話について書かれています。
この中に、天皇家は天照大神(あまてらすおおみかみ)という神様の子孫であるとされており、それゆえに天皇家が日本を統治するのは自然なことであるとされています。
しかし、『古事記』に「天皇家は天照大神の子孫である」という見解が記されているのは、人々の中に根差していたからではありません。
太安万侶が天皇家の権威を語るために作り出したストーリーであるとされています。
『古事記』の中のこの記述が、天皇家と「神道」を結びつけた最初のものです。
天皇家と「神道」を結び付けたものは、『古事記』だけではありません。
それは明治政府が作り上げた、「国家神道」という「神道」です。
明治期の日本は西洋列強によって植民地国家にされる危険性に晒(さら)されていました。
そのため、当時の日本政府は、植民地にされることを防ぐために、国民を1つにまとめて、国家を強くしていく必要がありました。
明治政府は、国民全員が共有する1つの思想を人工的に作り上げることで、国民を1つにまとめ上げようとしました。
そういった目的の上で作られたのが「国家神道」です。
また「国家神道」では、その信仰の中心に「天皇」への崇拝を据え、天皇制国家をより強固なものにしていこうとしました。
「神道」が国家の統治のために利用されていたということです。
これが、「神道」という言葉のイメージに「天皇」が含まれている理由だと言えます。
「儒教」についてもっと詳しく
「儒教」の起源
「儒教」とは、孔子を始祖とする思考・信仰の体系のことを指します。
孔子とは、中国春秋時代(ちゅうごくしゅんじゅうじだい)の思想家であり、数々の教えを残しています。
「孔子」という呼び名も尊称であり、実際の名前は「孔丘(こうきゅう)」といいますが、「孔子」と呼ぶほうが一般的です。
古代中国で誕生した「儒教」は東アジアを中心に根付いています。
「儒教」の教え
「儒教」の教えとは、簡単に言うと「五常(ごじょう)」と呼ばれる5つの基本的な徳目(徳を分類したもの)を成長させることで、「五倫(ごりん)」と呼ばれる関係性を守ることを目的としています。
その「五常」とは以下のようなものです。
- 仁:人を思いやること
- 義:私利私欲(しりしよく)にとらわれず、するべきことをすること
- 礼:「仁」を具体的な行動に反映させること。後に上下関係を重んじることという意味を持つようになる
- 智:学問に励むこと
- 信:真実を告げること、言ったことを翻したしないこと、約束を守ること、誠実であること
「五倫」とは以下のようなものです。
- 個人と他者や社会との関係
- 父と子
- 君臣(くんしん):主と家来
- 長幼(ちょうよう):年上と年下
- 友情
「儒教」と日本
「儒教」が日本に伝わったのは実は「仏教」よりも早く、その教えは徐々に日本全体に根付いていきました。
また、「儒教」の一派である「朱子学」は江戸幕府によって、官学(政府が認めた学問)とされました。
「朱子学」は、「儒教」よりもさらに上下関係を重んじる考え方をする学問であったため、江戸幕府はこれを官学とすることで、部下が反逆する可能性を減らそうとしたのです。
まとめ
以上、この記事では「仏教」「神道」「儒教」の違いについて解説しました。
- 仏教:インドで生まれた。「悟り」を開くことを目的とする。
- 神道:日本で生まれた。全ての自然に神が宿ると考える。
- 儒教:中国で生まれた。「五常」によって「五倫」を守ることを目的とする。
「仏教」も「神道」も「儒教」も、日本の文化や生活、国民性に大きな影響を及ぼしています。
そのため、これらの宗教について詳しく知ることで、日本についての理解を深めることができます。