「古墳」と「ピラミッド」。皆さんが、この2つについて知っていることは何ですか。
実は「古墳」も「ピラミッド」も、未だ謎が多い遺跡であり、多くの考古学者が調査を続けています。
この記事では、現在解明されている「古墳」「ピラミッド」の違いを、わかりやすくご紹介します。
結論:最大の違いは時代と場所
「ピラミッド」は、紀元前26世紀以降のエジプト・中南米で作られたお墓です。
両者に共通して、古すぎるため、研究が追いついていないのが現状です。
「古墳」をもっと詳しく
「古墳」は 、3 世紀~7 世紀頃の東アジアで作られたお墓です。
「古墳」の「墳」は、土を高く盛り上げた墓場のことです。しかし、古墳の中には、もともと土が盛り上がっている微高地(びこうち)や丘陵(きゅうりょう)を削って作られたものも多く存在します。上から見ると円形になっている「円墳」と、上から見ると正方形になっている「方墳」が基本形です。
日本の「古墳」の中で、最も一般的な形は、「前方後円墳」です。これは「円墳」と「方墳」からなる「古墳」であり、四角い山と丸い山を合わせたような形をしています。
その他にも、以下のような形の「古墳」が発見されています。
- 双方中円墳(櫛山古墳)/そうほうちゅうえんふん(くしやまこふん)
- 上円下方墳(明合古墳)/じょうえんかほうふん(あけあいこふん)
- 双方中方墳(明合古墳)/そうほうちゅうほうふん
- 帆立貝形古墳(乙女山古墳)/ほたてかいがたこふん(おとめやまこふん)
- 八角墳(天武・持統天皇陵)/はっかくふん(てんむ・じとうてんのうりょう)
「古墳」の規模にもよりますが、以下のような副葬品が出土されています。
- 埴輪 (はにわ)
- 土器
- 鉄剣
- 装身具(そうしんぐ)
3 世紀~7 世紀頃の東アジアの様子
3 世紀~7 世紀頃の東アジアは、どのような状況だったのでしょうか。
5 世紀ごろの中国は、南北朝時代でした。北と南の王朝が対立していた時代です。日本は、南朝の「宋 (そう)」に使いを送ったことが記録されています。
朝鮮半島は北部は、「高句麗 (こうくり)」、南西部が「百済 (くだら)」、東南部が「新羅 (しらぎ)」という国に分かれていました。この時代の書物に、日本は、百済含めた諸外国と共に、高句麗・新羅と戦っていたことが記されています。
ちなみに、4~6 世紀頃、「渡来人」と呼ばれる中国・朝鮮半島からの移住者は、以下のようなものを日本人に伝えました。
- 須恵器 (すえき)
- 漢字
- 儒学(じゅがく)
- 仏教
「ピラミッド」をもっと詳しく
「ピラミッド」は、エジプト・中南米などの地域のお墓です。
「ピラミッド」は、石で作られ、四角錐型をしています。現在 140基ほどが確認されています。
有名な「ギザの三大ピラミッド(※)」は紀元前 26年頃のお墓です。この時代は、インダス文明ができた時代です。しかし、古すぎるあまり、厳密には時代が特定できていません。
「ピラミッド」はまだまだ多くの謎に包まれています。機械がない時代にどのように石を成型したのか、どのように建築されたのか、内部の構造がどのような形になっているのか、現在も考古学者により研究が進められています。
- ギザの三大ピラミッド(※):クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドのこと
まとめ
以上、この記事では、「古墳」と「ピラミッド」の違いについて解説しました。
- 古墳:3 世紀~7 世紀頃の、東アジアで作られたお墓
- ピラミッド:紀元前26世紀以降の、エジプト・中南米で作られたお墓